Up | 『人の生きるを達観する方法』: はじめに | 作成: 2021-10-08 更新: 2021-10-08 |
何かを総括したくなってひとがすることが,思想である。 思想には,解脱後の思想──「最後の思想」──というのがある。 「解脱」とは,「退役 (退職)」といっているのがそれである。 現役の時は,解脱が成ったらしようと思っていることがある。 それが, 「最後の思想」づくりなのである。 退役・退職して,ひとは「老後生活」に入る。 若い者は「老後生活」を「ぼーっとして生きる」のようにイメージしているが,実際は「最後の思想」をつくるステージなので相応に忙しい。 思想は,科学に軸足を置くことが要件である。 ──そうでなければ,ただのことば遊びになる。 老後は相応に忙しいと言ったが,これの意味は「余命を見込んで科学をすることは相応に忙しい」である。 しかも,体の老化という身体的不利がある。 老化は,身体機能の劣化である。 「最後の思想」は,劣化した体でつくるというものである。 若い体で「最後の思想」をつくろうという虫のいい考えが,「出家」である。 しかしこれは,ダメである。 勘違いの思想を紡ぐことにしかならない。 「最後の思想」は,老人力を要件とするのである。 「最後の思想」は,「己・人・生きる」を総括する思想である。 そしてこれは,存在論と意味論の二本立てになる。 存在論の方は,『なぜ わたしは わたしなのか』で試みている。 意味論の方は,この『人の生きるを達観する方法』で試すとする。 思想は,感服するものと,他愛の無いものの二種類である。 さらに前者は,結局残るのは二つである。 それは,ダーウィンの進化論とマルクスの資本論である。 そしてこの二つは,<生きる>の存在論の古典,<生きる>の意味論の古典とそれぞれ位置づけられる。 思想は,実践論をやるとダメになる。 即ち,「よい生き方・よい世界」を立てるとダメになる。──そんなものは無いからである。 マルクスはこれをやってしまう。 ひとは「マルクス」を共産主義イデオロギーだと思っていてマルクスの思想のことを知らないが,これはマルクスが自分で撒いた種である。 「マルクス」とは,ひとの生きるを「マネーゲーム」と看破する思想のことである。 実際,今のひとの生きるは,この通りである。 「最後の思想」は,「現役の思想」に対置される思想である。 「現役の思想」は,マネーゲームである。 思想家で マネーゲームのプレーヤーのアクションは,<物をひとに買わせる>である。 買わせるためには,買う気にさせねばならない。 そこで,買う気にさせるための手練手管を用いる。 ビジネス指南書などはこの手練手管にかっこよいネーミングをするが,これのありのままを言うことばは,「詐欺」である。 マネーゲームプレーヤーのアクション<物をひとに買わせる>は,<騙す>である。 こうして,ひとの生きるは,騙し騙されるである。 実際,経済が回るとは,ひとがそれぞれのポジションで騙し騙されるをちゃんとやってくれるということである。 「退役=老後」とは,この<騙し騙される>の螺旋から脱けられるということである。 現役のときは「現役の思想」をつくるしかない。 それは,「よい生き方・よい世界」を言うことである。 老後に入ることは,それを言うことから解放されるということである。 そして,「最後の思想」づくりに入るとなる。 |