Up | 「何れにしてなりとも敵をきる,と云心也」 | 作成: 2014-01-07 更新: 2014-01-07 |
先,太刀をとりてハ,何れにしてなりとも敵をきる,と云心也。
若,敵のきる太刀を,うくる,はる,あたる,ねばる,さはる,など云事あれども,みな敵をきる縁也,と心得べし。 うくるとおもひ,はるとおもひ,あたるとおもひ,ねばるとおもひ,さはると思ふによつて,切事不足なるべし。 何事もきる縁とおもふ事,肝要也。 能々吟味すべし。 |
まず(何よりも),太刀を手に取っては,どのようにしてでも敵を切るのだ,という心持である。
もし(仮に),敵の切ってくる太刀を,受ける,張る,当る,粘る,触る,などと云うことがあっても,それはすべて,敵を切るためのものだ,と心得るべきである。 受けると思い,張ると思い,当ると思い,粘ると思い,触ると思うと,そのことによって,切ることが不十分になるであろう。 何ごとも敵を切るためだと思うことが肝要である。 よくよく吟味すべし。 |
「肝心の抜け落ち」には,つぎの2タイプがある: 1.「素人は,肝心をしないで,無用・無駄ばかりをする」
2.「修行は,肝心から外れる」
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