Up 対象・意味・形式 作成: 2019-07-12
更新: 2019-07-12


    対象は,対象化されたものである。
    対象化行為が対象をおこす。

    目に入っていることは,対象になっていることではない。
    目に入っているものの中から対象をおこすのは,対象概念である。
    対象概念に導かれて,目に入っているものの中に対象が見えてくる。
    これを「目ができる」と謂う。


    対象にしていないものは,意味がないものである。
    対象になるとは,意味をもつようになるということである。
    意味をもつ・もたないの違いは,生活に係わる度合いの違いである。
    対象は,生活依存である。

    認識論は,意味を「形式」に表現しようとする。
    理由は,これによって意味が操作的に扱えるようになる (そんな気分になれる) からである。


    形式は,存在に属さない──存在の属性ではない。
    形式は,認識論に属する。
    実際,形式は文化相対的である。

    認識論は,即ち言語である。
    形式の相対性は認識論の相対性であり,言語の相対性である。

    これについては改めて論じるまでもない──文化人類学を分野にして厖大な量の知見が蓄積されてきた。
    肝要は,「相対性」の意味の捉えである。
    「相対性」を「何でもあり」に解して舞い上がる者がきまって出てくるからである。(e.g.「ポストモダン」)

    「相対性」の意味の捉えは?
    それは, 「進化」である。
    「相対性」は,進化の分枝のことである。
    「相対性」はこれまでの経緯で成ったものである。
    ──「何でもあり」ではない。