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『石上私淑言』
古今序に,やまと哥は,ひとの心をたねとして,萬の言のはとぞなれりけるとある。
此心といふが,則,物のあはれをしる心也
‥‥
事にふれて其うれしくかなしき事の心をわきまへしるを,物のあはれをしるといふなり。
其事の心をしらぬ時は,うれしき事もなくかなしき事もなければ,心に思ふ事なし。
思ふ事なくては哥はいでこぬ也。
しかるを生としいける物は,みな程々につけて事の心をわきまへしる故に,うれしき事も有かなしき事もある故に,哥ある也。
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『紫文要領』
さて其の歌物語の中にていふよしあしとは、いかなる事ぞといふに、かの尋常の儒仏の道にていふよしあしと格別のたがひあるにもあらねども、おのづからかはる所あるは、まづ儒仏は人を教へみちびく道なれば、人情にたがひて、きびしくいましむる事もまじりて、人の情こころのまゝにおこなふ事をば悪とし、情をおさへてつとむる事を善とする事多し。
物語はさやうの教誡の書にあらねば、儒仏にいふ善悪はあづからぬ事にて、たゞよしあしとする所は、人情にかなふとかなはぬとのわかちなり。
その人情の中には、かの儒仏の道にかなわぬ事有る故に、儒仏の道にいふよしあしとかはる也。
かやうにいはゞ、たゞ善悪にかゝはらず、人情にしたがふをよしとして、人にもさやうに教ゆるかと思ふ人あるべけれど、さにはあらず。
右にいふごとく教誡の道にあらざる故に、人にそれを教ゆるといふ事にはあらず。
教誡の心をはなれて見るべし。
人情にしたがふとて、己おのが思ふまゝにおこなふとにはあらず、たゞ人情の有りのまゝを書きしるして、見る人に人の情はかくのごとき物ぞといふ事をしらする也。
是れ物の哀れをしらする也。
さてその人の情のやうをみて、それにしたがふをよしとす。
是れ物の哀れをしるといふ物なり。
人の哀れなる事を見ては哀れと思ひ、人のよろこぶを聞きては共によろこぶ、是れすははち人情にかなふ也。
物の哀れをしる也。
人情にかなはず物の哀れをしらぬ人は、人のかなしみを見ても何とも思はず、人のうれへを聞きても何とも思はぬもの也。
かやうの人をあしゝとし、かの物の哀れを見しる人をよしとする也。
たとへば物語の中に、いたりてあはれなる事のあらんに、かたはらなる人これを見聞きて、一人はそれに感じてあはれに思ひ、一人は何とも思はずあらん。その感じて哀れがる人が人情にかなひて物の哀れをしる人也。何とも思はぬ人が人情にかなはずあしき人也。
されば其の物語を今よむ人も、その哀れなる事を見て哀れと思ふは、人情にかなふ人也。何とも思はぬは物の哀れをしらぬ人也。
こゝにおきてかの物語の中の一人、物の哀れをしる人をよしといひ、物の哀れをしらぬ一人をあしゝとするをみて、かのよむ人の物の哀れをしらぬも、己があしきをしりて、自然と物のあはれをしるやうになる也。
これすなはち物語は、物の哀れを書きしるしてよむ人に物の哀れをしらするといふ物也。
されば物語は教誡の書にはあらねども、しひて教誡といはゞ、儒仏のいはゆる教誡にはあらで、物の哀れをしれと教ゆる教誡といふべし。
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小林秀雄 (1977),新潮文庫版 上, pp.134-136
宣長は、「あはれ」とは何かと問い、その用例を吟味した末、再ぴ同じ言葉に、否応なく連れ戻された。‥‥
この言葉の多義を追って行っても、様々な意味合をことごとく呑み込んで、この言葉は少しも動じない。
その元の姿を崩さない。
と言う事は、とどの詰り、この言葉は自分自身しか語ってはいない。
彼は、この平凡な言葉の持つ表現性の絶対的な力を、はっきり知覚して驚くのである。
‥‥
彼は、「古今集」真名序の言う「幽玄」などという言葉には眼もくれず、仮名序の言う「心」を、「物のあはれを知る心」と断ずれば足りるとした。この歌学の基本観念が、俊成の「幽玄」定家の「有心」という風に、歌の風体論の枠内で、いよいよ繊細に分化し、歌人の特権意識のうちに、急速に、衰弱する歴史が見えていたが為である。
‥‥
「あはれ」という歌語を洗煉するのとは逆に、この言葉を歌語の枠から外し、ただ「あはれ」という平語に向って放つという道を、宣長は行ったと言える。
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