- 小林秀雄 (1977)『本居宣長』
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新潮文庫版 上巻 p.123.
宣長が求めたものは、知何に生くべきかという「道」であった。
彼は「聖学」を求めて、出来る限りの「雑学」をして来たのである。
彼は、どんな「道」も拒まなかったが、他人の説く「道」を自分の「道」とする事は出来なかった。
従って、彼の「雑学」を貫道するものは、「之ヲ好ミ信ジ楽シム」という、自己の生き生きとした包容力と理解力としかなかった事になる。 |
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小林秀雄は,この「独立」「窮理の学から人間の学へ」の系譜を探り,契沖,中江藤樹,また荻生徂徠,伊藤仁斎へと溯る:
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伊藤仁斎『童子問』上
「卑ケレパ則チ自ラ実ナリ、高ケレパ必ズ虚ナリ、
故ニ学問ハ卑近ヲ厭フコトナシ。
卑近ヲ忽ニスル者ハ、道ヲ識ル者ニ非ザルナリ」
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- 参考Webサイト
- 参考文献
- 大野晋・大久保正[編]『本居宣長全集』(1〜20, 別巻1,2), 筑摩書房, 1968〜1977.
- 小林秀雄『本居宣長』, 新潮社, 1977
- 石川淳[編]『日本の名著21 本居宣長』, 中央公論社, 1970.
- 石川淳「宣長略解」
石川淳[編]『日本の名著21 本居宣長』, 中央公論社, 1970, pp.5-28.
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