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『うひ山ぶみ』
さてその主としてよるべきすぢは何れぞといへば、道の学問なり。
そもそも此道は、天照大御神の道にして、天皇の天下をしろしめす道。
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また件の書どもを早くよまば、やまとたましひよく堅固まりて、漢意におちいらぬ衛にもよかるべき也。
道を学ばんと心ざすともがらは、第一に漢意儒意を清く濯ぎ去りて、やまと魂をかたくする事を要とすべし。
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さてまた漢籍をもまじへよむべし。
古書どもは皆漢字漢文を借りて記され、殊に孝徳天皇天智天皇の御世のころよりしてこなたは万づの事かの国の制によられたるが多ければ、史どもをよむにも、かの国ぶみのやうをも、大抵は知らでは、ゆきとどきがたき事多ければ也。
但し、からぶみを見るには殊にやまとたましひをよくかためおきて見ざれば、かのふみのことよきにまどはさるることぞ。此心得肝要也。
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さて上にいへるごとく、二典の次には万葉集をよく万ぶべし。
みづからも古風の歌をまなびてよむべし。
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すべてみづから歌をもよみ、物がたりぶみなどをも常に見て、いにしへ人の、風雅のおもむきをしるは、歌まなびのためはいふに及ばず、古の道を明らめしる学問にも、いみじくたすけとなるわざなりかし。
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『排蘆小船』
歌ノ本体、政治ヲタスクルタメニモアラズ、身ヲオサムル為ニモアラズ、
夕ヽ心ニ思フ事ヲイフヨリ外ナシ、
其内ニ 政ノタスケトナル歌モアルベシ、身ノイマシメトナル歌モアルベシ、又国家ノ害トモナルベシ、身ノワザハイトモナルベシ、
ミナ其人ノ心ニヨリ出来ル歌ニヨルヘシ、
悪事ニモ用ヒラレ、善事ニモ用ヒラレ、興ニモ愁ニモ思ニモ喜ニモ怒ニモ、何事ニモ用ヒラル也、
其心ノアラハル所ニシテ、カツソノ詞幽玄ナレハ 鬼神モコレニ感スル也
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夕ヽ善悪教誡ノ事ニカヽハラズ、一時ノ意ヲノフル歌多キハ、世人ノ情、楽ミヲハネガヒ、苦ミヲハイトヒ、オモシロキ事ハタレモオモシロク、カナシキ事ハタレモカナシキモノナレハ、只ソノ意ニシタカフテヨムガ歌ノ道也
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『玉勝間』
古今集に、やまひして、よわくなりにける時よめる、なりひらの朝臣、
「つひにゆく 道とはかねて聞しかど
きのふけふとは 思はざりしを」
契沖いはく、
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これ人のまことの心にて、をしへにもよき歌也、
後々の人は、死なんとするきはにいたりて、ことごとしきうたをよみ、あるは道をさとれるよしなどよめる、
まことしからずして、いとにくし、
たゞなる時こそ、狂言綺語をもまじへめ、いまはとあらんときにだに、心のまことにかへれかし、
此朝臣は、一生のまこと、此歌にあらはれ、後の人は、一生の僞リをあらはして死ぬる也」
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といへるは、ほうしのことばにもにず、いといとたふとし、
やまとだましひなる人は、法師ながら、かくこそ有けれ、
から心なる神道者歌學者、まさにかうはいはんや、
契沖法師は、よの人にまことを敎ヘ、神道者歌學者は、いつはりをぞをしふなる
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『うひ山ぶみ』
すべて神の道は、儒仏などの道の、善悪是非をこちたくさだせるやうなる理窟は、露ばかりもなく、たゞゆたかにおほらかに、雅たる物にて、歌のおもむきぞ、よくこれにかなへりける、
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