Up 本論考の目的 作成: 2020-03-28
更新: 2020-03-28


    ひとのうちには,つぎの考え方をする者たちがいる:
      世の中は,人がつくることで斯くある
    彼らは,世の中の不具合・不条理を見るとき,つぎのように思う者たちである:
      ダメな人間が世の中を動かしている
       ──よい人間に替われば,世の中は改まる
    そしてこのとき彼らが立てる「よい人間」の内容は,「真っ直ぐな精神」である。
    世の中の不具合・不条理は「ねじ曲がった精神」がもとだ,となる。

    彼らは,人の自然は「真っ直ぐな精神」であるとする。
    そこで,人の自然を取り戻せば世の中は改まる,となる。
    世直しの行動は,「ねじ曲がった精神」の駆逐である。


    この考え方では,世の中を改める行動はごく敷居の低いものになる。
    能力は問題ではなく,「真っ直ぐな精神」であればよい。
    こうして彼らが世直しの行動を考えるとき,それは「人民路線」になる。

    ここで「人民」とは,「真っ直ぐな精神」をもつ者の謂である。
    「人民」は「大衆」とほぼ重なる。
    というのも,彼らは世の中を「ねじ曲がった精神の者が優位にいる」の構図に見る者だからである。

    「人民」を最もよく表す者は,世の中の穢れにまだ染まっていない子ども・若者ということになる。
    こうして,彼らの行動戦略は必ず,子ども・若者の感化・組織化を重要目標に据える。


    本論考は,彼らの考え方を「精神主義」と呼んで,これに対する批判の形をつくってみようとするものである。
    なぜ批判しようとするのか。
    第一に,「世の中は,人がつくることで斯くある」は間違いだからである。

    そして第二に,ひとは「ひとそれぞれ」であるが,精神主義者は「ひとそれぞれ」を否定してかかってくる者たちだからである。

    精神主義者は,自分の度量・持ち分に応じて,「ねじ曲がった精神」の排斥に努める者である。 しかし,精神主義から見た「ねじ曲がった精神」も,「ひとそれぞれ」のうちである。
    「ひとそれぞれ」を否定してかかってくる者たちは,「ひとそれぞれ」では済ませられない存在ということになる。