Up 加齢 作成: 2013-03-14
更新: 2013-03-18


    「吉本隆明」とは,<書く>を方法として──即ち《習慣の書き方を拒む》《本当のことを書いて示す》を行為する自分を以て──自身を保とうとする者のこと,ないしこの方法そのもののことである。

    <書く>の様態は,年齢/経験値と関わってくる。

    若輩は,世界が小さいので,「自分が正しい」でないと満足できない。
    <書く>を,敵を立てて闘う行為にする。

    年を取ることは,世界の広いこと・ものごとの複雑なこと・個の多様なこと──そしてこれらの反照として,自分の卑小が見えてくること──なので,「柳緑花紅真面目」を境地とする者になっていく。
    <書く>を,(敵を立てて闘う行為ではなく)自分の力量を測る行為──自分との向き合い──にする。
    加齢は,<書く>が闘わないものになることである。言い換えると,「堕落」することである。

    ただし,若いうちに,引っ込みのつかない立場に自分を自ら立たせてしまった者──引っ込みのつかない立場に自分が立っていると思い込むふうになった者──は,<引っ込みがつかない>の構えを習慣にしてしまう。 この場合は,加齢に伴う<書く>の自然な「堕落」が起こりにくい。

    吉本隆明がこの点でどうであったのかは,「引っ込みがつかない」の節に引き続く形で,保留である。
    論点のメモということで,この一節を設けておく。

      この「論点メモ」は,わたしが吉本隆明に対しひっかかるものをもつからなのであるが,「親鸞」がそれである。 吉本隆明の「親鸞」の持ち上げ方・ごまかしたような論の閉じ方に,どうしてもなにか欺瞞を感じてしまうのである。
      「保留」は,わたしのうちでこの点に決着がつくときまでである。