Up 「改革」ではなく,オーソドックスをやる 作成: 2010-09-12
更新: 2010-09-12


    困難な状況に遭遇して,「系・組織の抜本的変更」を内容とする「改革」がこのときの対応方法であると考えるのは,通時・共時の大きなスパンで物事を捉えるカラダができていないからである。
    大きなスパンで物事を捉えられるようになるためには,経験を積むしかない。 目先で物事を考えてしまうのは,未熟だからである。

    「改革」は,未熟な者がやる。 「改革を行えるのは,若者・よそ者・ばか者」のフレーズがあり,これは「若者・よそ者・ばか者」を持ち上げるふうに使われるが,「若者・よそ者・ばか者」はまさに未熟な者を指しているわけである。

    困難な状況は,乗り越えるものではない。過ごすものである。
    「雨のち晴れ,晴れのち雨」を過ごすことを,知らねばならない。
    しかし,繰り返すが,これを知るようになるのは,経験を積むことによってである。 未熟な者が「改革」に向かってしまうのは,やはりどうしようもないことである。

    「雨のち晴れ,晴れのち雨」を過ごすとは,淡々とオーソドックスをやるということである。
    「改革」の時代には,状況の変化に敏感に反応することが良いことのように吹聴される。これは間違いである。 状況の変化に鈍感に対応できるのが,インテリジェンスというものである。

    状況の変化に敏感に反応することを良しとする論は,マスコミにおいてつねに主流である。 そして,ひとはこれに乗せられる。
    そこで,「状況変化に敏感に反応」が主流になる理由を,いちおう知っておくとよいだろう。
    <現状の変更>は商売になり,<現状の継続>は商売にならない。これが理由である。
    例えば,IT業界は《ユーザに新しい環境への切り替えをさせる》で商売する。そこで,「新しい環境への切り替えを迅速に行わなければ,競争に負ける」というメッセージを,マスコミを使ってつねに発信していくものになっている。 そしてこのことは,企業サポートを商売にしている業界全般にあてはまる。