Up 「改革」は無駄遣いをする 作成: 2010-09-11
更新: 2010-09-11


    「改革」は,無駄遣いをする。
    無駄遣いを無くす」「本当に必要なところに人・物・金を回す」を唱える「改革」は,いっそうひどい無駄遣いをする。

    無駄遣いの捉えは,難しい。
    表面で無駄遣いと見えているものの下層には,複雑な連関の系がある。 そしてこの系は,安定相としてそのように存る。 よって自分が「無駄遣い」と見なした部分を単純に削除すれば,系は<混乱>という形で反逆してくる。

    「本当に必要なところに人・物・金を回す」の施策に熱心な執行部は,この<混乱>の捉えができない。 実際,捉えができないおかげで,「本当に必要なところに人・物・金を回す」に熱心になれているわけである。

    しかし,「本当に必要なところに人・物・金を回す」に熱心な執行部は,「本当に必要なところ」を知っているわけではない。 そこで,「本当に必要なところは名乗りを上げよ」とアナウンスする。 そしてこのアナウンスに応じてくるのが,「本当に必要なところ」ではないので,「本当に必要なところに人・物・金を回す」が無駄使いになるというわけである。

    実際,本当に必要なことは,「本当に必要なところは名乗りを上げよ」に応じて名乗りを上げるという形をとれない。 本当に必要なことは,複雑系であるからだ。

    名乗りを上げるという形をとれるのは,単純プロジェクトである。 実際,名乗りを上げてくるのは,単純プロジェクトである。
    単純プロジェクトとは,一回の花火のことである。 それは,「報告書」を作成して終わる。 後には何も遺らない。
    中には優良なプロジェクトがあっても,全体の中に埋没する。 他との差別化を自ら示すことも困難であり,そしてこの差別化を読み取る者がいることも期待できない。
    こうして,「本当に必要なところに人・物・金を回す」は,一回性花火に金を遣うことになる。 よって,無駄遣いになる。

    この無駄遣いは,さらに「公けのものの私物化」の意味の無駄遣いへと進む。
    すなわち,執行部は,自分が人・物・金を回したい相手に「本当に必要なところ」の応募をさせ,人・物・金を回す。 これは,どうしてもこうなってしまうということであり,良い悪いの問題ではない。「これが安定相である」という問題である。


    無駄遣いには,<生き残り>策に投資し,この策が失敗し,投資が無駄になる,というものもある。
    <生き残り>は,単純に計算できない。 実際,単純に計算できるなら,<生き残り>はずいぶんと簡単なものである。
    しかし,ひとは,<生き残り>を自分の都合のよい方向に単純計算で考えてしまう。 そして,当て外れをやる。 計算を難しいものと考えられるようになるには,経験値を積むしかない。

    「法人化」の国立大学は,自分の課題を<経営学の本に書かれていること>の実現だと思った。 しかもその内容を,ずいぶんとちゃちいものに捉えたのである。 実際,計算の立たないことを拙速にやっては,失敗する。結果,無駄遣いをやってしまう。

    この場合の問題の要点は,国立大学と利潤追及型企業の同一視を単純にやってしまっていることである。
    国立大学は,一般に公的機関は,経営学の主題になっている利潤追及型の企業とは本質的・根本的に違うところがある。 実際,本質的・根本的に違うところが,国立大学を公的機関にしているわけである。 国立大学が自分の<生き残り>を利潤追及型企業の<生き残り>のように考えたら,<生き残り>の計算の土台から間違うことになる。