Up リーダシップ・議論軽視・有識者会議・素人主義 作成: 2007-06-28
更新: 2007-06-28


    ここしばらく,「企業経営」が政治の方法論になっている。

    「リーダシップ」のことばが「スピード感」のことばと組になっていま普通に政治の場で使われるようになっているが,これはもともと企業経営の発想。
    実際,短期成果主義に立つときに「スピード感」のことばが出てくる。そして,スピード感実現のために「リーダシップ」となるわけだ。

      「スピード感」のことばがアタリマエに思えるひとは,「スピード感」のことばを使うことがふさわしくない場面を想起するとよい。


    スピード感実現のためのリーダシップでは,個の多様性が障害になる。
    個の多様性は,リーダシップに対する「抵抗勢力」として現れる。 そこで,スピード感の実現は,「抵抗勢力排除」の意味になる。

    抵抗勢力排除は,「議論軽視」の形をとる。
    実際,個の多様性を受容するとき,議論に進む。個の多様性を障害として退けようとするとき,議論軽視に進む。
    「有識者会議」は,「議論軽視」の典型的手法。


    「抵抗勢力排除」主義は,素人主義に進む。
    なぜ素人なのか?
    既得権益で汚れているから抵抗勢力になる。純真で汚れがないのは素人。」が理由。

    この「素人」になるのはだれ?
    「よそ者・若者・ばか者」である。
    (「改革を行えるのはよそ者・若者・ばか者」の意味)

    実際,「抵抗勢力」と闘う「改革者」にとって最も信用のおける味方は「素人」。
      例:毛沢東の紅衛兵,ヒトラーのヒトラーユーゲント
    逆に,「汚れた者」の象徴にされるのが「知識人」。
      例:毛沢東の文化大革命,クメール・ルージュの知識人ジェノサイド


    そして,国立大学の「法人化」は,純真で汚れのない「有識者」素人が国立大学に巣くう汚れた大学人を退治する「大学革命」。
    (本来大学教育の専門家ということになる教育学専攻の大学教員などは,この場合は愚か者の代表であり,はなからお呼びでない。)