Up 「リーダシップ」の文化・哲学 : 要旨 作成: 2009-05-07
更新: 2009-05-07


    「リーダシップ」のことばが世の中に溢れる。
    ひとは,この概念をアタリマエのものにする。
    すなわち,「組織の進むべき道を知っており,この道に組織を導く能力と使命感をもち,そして実際に組織を導くことをする者」の存在 (「リーダー」) を立てる考え方を,アタリマエのものにする。
    しかし,「リーダシップ」の概念を立てる文化は,特殊なものである。

    実際,「リーダシップ」の文化は,つぎのものがこれの要素になっている:

    1. ロゴスの哲学
    2. <エリート・中央指導>のイデオロギー
    3. 否定対象として「従来型」を立てる (「改革/革命」)

    A. ロゴスの哲学
    「組織の進むべき道を知り,この道に組織を導く者」の存在は,ロゴスを<存在>として立てる哲学において可能になる。
    実際,ロゴスは先験的である。人は,ロゴスを自分にとっての<存在>とすることによって,超越的主体になる。 「組織の進むべき道」は,ロゴスの<計算>によって得られる。 「ロゴスの<計算>をできる者」が「リーダー」である。

      「リーダシップ」の発想は,ベンチャー企業の経営者を手本にする趣きになっている。
      ベンチャー企業の経営者の「リーダシップ」は,<アタマがいい>ことによる。 このときの<アタマがいい>は,経験・年輪を要素から退けるタイプの<アタマがいい>である。 経験・年輪が退けられるのは,<アタマがいい>をロゴスの<計算>の能力としているからである。

      「法人化」の国立大学は,制度づくりを好む。 この場合,ロゴス好きが制度好きの形になって現れている。


    B. <エリート・中央指導>のイデオロギー
    「組織の進むべき道を知り,この道に組織を導く者」の存在は,<エリート・中央指導>のイデオロギーにおいて最も強力に立てられる。
    このイデオロギーは,「エリートが前衛になり,中央指導する」体制の構築に向かう。 一般に「リーダシップ」は「独善」に他ならないが,この「独善」が最も強力になるのも,このイデオロギーの「リーダシップ」の場合である。


    C. 否定対象として「従来型」を立てる (「改革/革命」)
    「組織の進むべき道を知り,この道に組織を導く者」は,「従来型」の否定・変革を唱える:
      従来型は,悪いことだらけである。
      悪い者・劣った者が,組織を悪くしている。
      悪い者・劣った者を罰したり改心させることを含めて,従来型を改めねばならない。


    「リーダシップ」の考え方は,絶対論・主知主義を基調にする点において,西欧的である。 ──実際,西欧発である。

      対比:「人間万事塞翁が馬」


    「リーダシップ」の文化・哲学は,<否定>の文化・哲学である。 したがって,この文化・哲学に対置されることになる文化・哲学は,<肯定>の文化・哲学である。

    <肯定>の文化・哲学は,「リーダシップ」をつぎのように捉えることになる:

      「従来型」は,<バランスの実現>になっている。 <悪いこと・けしからんこと>は,このバランスの要素である。 これを除くことに手をつければ,バランスが一挙に崩れて,システム破壊になる。
      また,システムの根幹は,制度ではなく人である。 人の本質は,ずっと変わらない。 「従来型」否定は,人の本質の否定になってしまうので,最初から成り立たない。
      この理により,「リーダシップ」の「従来型の否定・変革」は,ものごとをただグチャグチャにして終わるものになる。

     註 : 特に「<肯定>=体制的,<否定>=反体制的」ではない。 ──「リーダシップ」が体制になるときは,<否定>が体制になるわけなので,「<肯定>=反体制的,<否定>=体制的」となる。