Up 教育/勉学体制の劣化と世界認識の低次元化 作成: 2007-07-01
更新: 2007-07-01


    いまの時代の理知力・モラル劣化は,顧客主義がもとになっている。
    個人は「お客様」扱いされ,叱られない (=いまの自分より高い次元を示唆されない)。 低次元に自足し,理知力・モラルが育たないままになる。
    ( 顧客主義から理知力・モラルの劣化へ)


    顧客主義は,家庭にも学校にも入った。
    すなわち,子どもも「お客様」扱いされる者になった。

    特に,これに関する学校教育の愚劣さは,底が知れない。

    「子ども中心」のイデオロギーで「教えることの罪悪視」に転じるタイプのものが,「進歩的」ということで,教員に受け入れられた。──例えば,学習指導案を「子どもの活動」と「教員の支援」のフレームで書くことが,進歩的ということになった。 (教員養成課程の学生は,教育実習に行くと,この体裁の指導案を教えられる。)
    教育行政では,「ゆとり」を理由に,学習内容を量・質ともに落とし,さらにコース別・選択制を進めた。
    こうして,学習内容の少ない子どもが大人になった。

    学習内容が少ないことは,世界認識の次元の低さに現れる。
    「バカ学生」「バカおとな」「バカ親」の登場である。


    ただし,学習内容の少ないことが世界認識の次元の低さに現れることの問題は,一般に問題として気づかれていない。
    実際には学習量のいかんで世界認識の質が劇的に変わるのだが,多くの人は,「学校の勉強は何の役にも立たず,社会勉強がほんとうの勉強」のような思いをもつ。

      国立大学でも,「法人化」の中で,「これまでやってきたことを虚学として反省し,実学を指向するようにしなければならない」のことばが出るありさま。


    「学習量のいかんで世界認識の質が劇的に変わる」のはどうしてか?
    学習内容が,世界認識の方法(=先人の遺産としての世界認識の方法) に他ならないからだ。
    ──赤ん坊ではなく大人として生きるには,先人の遺産としての世界認識の方法を身につけねばならない。