Up 「法人化」執行部 作成: 2009-06-26
更新: 2009-06-26


    「法人化」の国立大学で,大学執行部は「法人化」執行部になる。
    すなわち,「法人化」施策を行い続けることを自らに課す大学執行部が起つ。

    現前の執行部が「法人化」執行部であるということは,改めて言うまでもないように思われるだろうか? しかし,このことは,存外よく認識されていない。
    認識が十分でないと,執行部の打ち出す施策や政治手法の理由を考える際に,「個人的資質」みたいなものを持ち出したりしてしまう。
    実際,執行部の行動は,国立大学の教育・研究を考える立場から見ると奇妙なものでも,「法人化」執行部の行動としては一貫していると見てよい。

    「法人化」執行部が自らの仕事と定めるものは,行政が行う大学評価において不可の点数をとらないことである。
    大学評価は,大学が作成する『中期計画・目標』に対して行われる。 したがって,「法人化」執行部が自らの仕事としているのは,『中期計画・目標』の作成とこの内容の実行である。
    『中期計画・目標』の作成・実施を自己目的化する大学執行部,これが「法人化」執行部の意味である。


    『中期計画・目標』には,何が書かれるのか?
    『中期計画・目標』とは何かを考えるためには,「法人化」が出てきた経緯に思いを致さねばならない。

    本来課題となるものは,「国立大学の規模の適正化」であった。
    「規模の適正化」には,「国立大学の機能を保つ」が含意される。 実際,国立大学を別のものに変えてしまうのは,「規模の適正化」ではない。
    しかし,「規模の適正化=縮小」を嫌がることでは国立大学と文科省の思いは一致し,行政はこの課題を「法人化」に転じた。 「国立大学は,経済主義を以て,自分の甲斐性で生き残っていく」としたのである。

    「経済主義を以て,自分の甲斐性で生き残っていく」になるとき,国立大学としての<大事>は引っ込んでいく。 例えば,金融業に業種替えして生き残っていけるなら,それで構わないわけである。
    実際,「法人化」の国立大学では,<大事>がますます蔑ろにされていく。

    一方で当事者は,「経済主義を以て,自分で生き残っていく」に対する体裁のよい合理化を求める。 そして使うことにしたのが,「グローバル化」「競争力」である。
    これは,「企業生き残り」のオピニョンが喧しい時代の所産と見るのが適当である。


    さて,『中期計画・目標』には,何が書かれるのか?
    つぎのものが書かれる:
      「生き残る」をスタンスにした大学が,「よい大学」を実現しようとして行うこと。 ──ここで,「よい」の意味は,「グローバル化・競争力」の観点において「よい」。

    この内容を自分のアタマでひねり出せということだったら,大学執行部はやっていられない。
    しかしここに,容易い手がある。
    アメリカの大学において「よい大学」が実現されている,とするのである。
    このとき,「よい大学」の実現は,アメリカの大学を真似ることである。 そして,アメリカの大学を真似るとは,具体的には,アメリカの (1) 大学のシステムや (2) 教育・研究方法論を導入することである。

    アメリカの流儀を取り入れることは,大学によっては (特に,教員養成系大学の場合には),木に竹を接ぐようなものになる。 それは,とんでもない作業になる。 しかし,とんでもない作業であるので逆に,「法人化」執行部はずっと続くことになる。