Up 教員と事務方で考え方が違ってくる理由 作成: 2007-05-18
更新: 2007-05-18


    国立大学の「法人化」は,つぎの2つの課題に対する解決方法として描かれた:
    1. 国立大学のリストラ (国の財政難への「聖域無し」の対応として)
    2. 国立大学の能力アップ

     註 : 最初は,聖域無き財政改革の一環としての「国立大学のリストラ」で,財務省主導。これで失地する文科省が「国立大学の能力アップ」を課題に加えて巻き返しを図る。この結果,問題の複雑度がいっそう高まった。

    行政/官邸は,「法人化」の内容を描く者として,経済界の考え方が主導する有識者会議を用いた。
    有識者会議を組織する行政/官邸の立場,そして「有識者」の立場は,「大学は会社と同型」である。 「有識者」は,経営の専門家を自任して,会社経営の手法を国立大学経営の手法として定めた:

    1. 経済主義
    2. 顧客主義
    3. グローバリズム
    4. 競争主義・評価主義


    以上を環境とすることで,国立大学の大学執行部,事務方,教員は,つぎのような関係で互いに立つものになる:
大学執行部 会社経営陣
事務方 ホワイトカラー社員
教員 現場社員
    それぞれの仕事の内容は,単純化して言うと,
    • 経営陣は,会社の<生き残り>策を相手にする。 ──<生き残り>は経営収支が決する。すなわちマネー一元化の世界。
    • ホワイトカラー社員は,上からの下知に直接従う立場であり,帳簿を相手にする。 ──帳簿は,マネー一元化の世界。
    • 現場社員は,小作農民を考えるとよいが,生態系 (エコ) を相手にする。


    ホワイトカラー社員には,本業の土台としている生態系の重さ/厄介さがわからない。 経済主義で「改革」を進め,それとは気づかずに生態系破壊を犯す。
    一方,現場社員は,「生態系の重さ/厄介さを相手にする」ことが仕事になっている者として,「改革」が生態系破壊であり結局本業破壊であることを見て取る。そして,経営陣・ホワイトカラー社員が降ろしてくる「改革」に異を唱える。

    経営陣・ホワイトカラー社員は,現場社員のことを「会社の厳しい経済的環境がわかっていない者」と見なす。
    現場社員は,経営陣・ホワイトカラー社員のことを「本業を知らない者」「邪道を進む者」と見なす。
    ( 教員と事務方の間の問題意識の乖離)