Up 事務局による大学執行部の吸収 作成: 2007-05-18
更新: 2007-05-18


    「教員と事務方で考え方が違ってくる理由」のところで,つぎの喩えを示した:

      大学執行部 会社経営陣 <生き残り>策が相手 マネー一元化
      事務方 ホワイトカラー社員 帳簿が相手
      教員 現場社員 生態系が相手


    教員は,経済主義でトップダウンの経営方法や独裁体制と相性がよくない。
    相性がよくないのに教員が「望ましい学長像」に適うのは自分だという体で学長選に打って出るのは,功名心からではないとすれば,<生き残り>バブルに嵌ったか,あるいは他の何かの理由でかなり無理をしていることになる。


    北朝鮮の金正日は,独裁者なのか独裁者をさせられているのか。
    「独裁者」は,個人ではなく一つのシステムである。
    独裁者は,独裁者をさせられている。

    「望ましい学長像」に適う者として選出された学長は,「望ましい学長像」の含意として,独裁者であることを強いられる。
    この独裁者をサポートするのは,教員ではない。(経済主義でトップダウンの経営方法や独裁体制は教育・研究の破壊になるので,教育・研究の担当主体である教員はこれをサポートする者にはならない。) 大学経営実務の担当主体である事務方がサポートする。
    こうして,大学執行部は実質事務局に吸収されるようになる。

    ここで述べているのは,「物は下に落ちる」という類の単純な理(ことわり) である。
    独裁者は官僚組織と結びついて自らを保つ。同時にこのことで,市民とは敵対関係になる。 その国は,上から下まで,深い憂鬱に包まれる。


    北海道教育大学の職員の多くは,現在進行している組織の変質について,まだたかをくくっているかあるいは鈍感なままでいる。
    失敗学は古今東西にある。せっかく大学なのだから,歴史学や社会学や政治学の専門家には組織の力学について大いに語ってもらいたいものだ。