Up | 検閲の指令通りに行動する側の心理 | 作成: 2007-09-07 更新: 2007-09-09 |
この順応は,「受容/流される」と「看過」が重なったものになる。 「受容/流される」とは? ひとは,組織の名前で出てきたものには「抗えない」ものを感じる。 組織は,<幻想>として存在する。 組織とは「組織ごっこ」のことである。 組織に棲むとは,この「ごっこ」をプレイすること。 <幻想>は,それを一緒になって支えようとする共同意志が存在させる。 組織に棲む人間のカラダ/DNA には,「組織ごっこ」をプレイすること,自分の逸脱によって「組織ごっこ」を壊さないことが,刷り込まれている。 そこで,場合に関係なく,組織の名前で出てきたものには「抗えない」ものを感じ,そしてそれに従う。 ( 組織に逆らう風に見られたくない──組織幻想) 「看過」とは? 組織全体にわたって,シラバス検閲は「検閲」と捉えられていない。 「このようなシラバスづくりには意味がない・無理がある」のようなクレームにとどまる。 実際,検閲 (一般に,統制) は,このような形で,ゆるやかに組織の体質になる。 ひとは,「検閲/統制」をどこかよそのひどい国や組織の話だと思っていて,自分が既にこれに浸っていることに気づかない。 これが,「検閲/統制」の力学である。 「看過」されやすいのは,どうしてか? ひとは,「検閲/統制」を構造的な問題としては捉えない。 「気持ち」の問題にする。 善かれの気持で行われる検閲/統制は,「検閲/統制」ではないのだ。 検閲/統制は,いつもこのような形で降りてくる。 歴史上の悪名高い全体主義国家も悪名高いワンマン経営の会社も,検閲/統制にはいつも「善かれ」の気持が付いている。 ( 善かれの気持に付き合う) 全体主義に従う側の心理 |