Up 「大学=レジャーランド」が失敗する理由 作成: 2006-08-05
更新: 2006-08-23


    「大学=レジャーランド」は,大学の存在理由の否定である。ゆえに,失敗する。

    大学は,「学問を担当する」という機能/役割において,社会の中に立つ。 この機能/役割が低劣化することは自らの存在理由を失うことであり,実際,低劣化に対する社会的制裁を「学生が入ってこない」という形で受ける。


    大学がレジャーランド化へと走るのは,目先のしのぎをするため。
    しかし,このしのぎは長くは続かない。
    しかも,このしのぎは,まさに自らの機能/役割を低劣化する内容になっている。

    レジャーランド化によって大学が得るものは,
      その大学が送り出す人材は,できが悪い/使えない
      その大学の教育・研究は信用できない
    という社会的評価/世評。
    レジャーランド化でしのぎを競う弱小私学は,まさにそのしのぎによって,社会からの低い評価を決定的なものにしようとしている。


    つぎのことをしかと理解しておく必要がある:

      レジャーランドは,大学である必要はない。
      「大学=レジャーランド」には,人を呼び込む理由がない。

    最初のうちは,目新しさとキャッチコピーが効いて,集客に成功するかも知れない。 しかし,「大学=レジャーランド」のキャッチコピーは,大学に入れば現実との乖離がたちまち明らかになり,すぐに色あせる。 そして人材送出がはかばかしくないとなるや,集客は一挙に下降線をたどり始める。

    また,「国立大学法人」という観点から見るならば,レジャーランド大学に国が投資する理由はない。国が大学に対して国民の税金を投入するのは,あくまでも教育と研究に対して。大学のレジャーランド化が進めば,「教育と研究の確かな大学」のカテゴリーが改めてつくられ,格付けが行われ,投資額がそれに応じたものに変わり,さらには大学の再編へと進む。


    大学の機能/役割は,地味なものだ。同時に,盤石である。邪道は通用しない。
    そして「大学=レジャーランド」は,通用しない邪道である。