Up | 「大学破壊」の自傷行為の構造 | 作成: 2006-09-06 更新: 2006-09-06 |
文科省は,「大学に対して生殺与奪の権をもつ者」のように振る舞う。 大学執行部は,文科省を「大学に対して生殺与奪の権をもつ者」として受け入れる。 文科省,そして大学執行部は,自分の気に入った絵,都合のいい絵を,現場に要求する。 彼らは,現場を彼らの絵を実現する役割のものだと思っている。 彼らは,現場を彼らの要求に当然応えるものだと思っている。 文科省の理不尽な要求に現場が応じることは,現場が本業を自ら壊すことを意味する。 これまで長い時間をかけて築いてきたものを大事にすることより,文科省の一時の偏向に付きあってそれを壊すことの方を選ぶ。 なにせ,文科省は自分らの生殺与奪の権をもつ者なのだから。 この構図は,どこかで見たことがある。 いや,いたるところで目にするものだ。 会社が下請けの会社に無茶な要求をする。 下請けは無茶を引き受ける。──無茶を受け入れなければ仕事をもらえないから。 無茶を実現するために,本業で無茶をする。 そして,欠陥品を出したり,大事故を起こしたりする。 あるいは,会社は消費者のわがままで無茶な消費傾向を見て,そのわがまま・無茶に応じようとする。 ──応じなければ,顧客はよそに行ってしまうから。 無茶を実現するために,本業で無茶をする・本業を蔑ろ(ないがしろ) にする。 そして,本業を壊す。 理不尽な要求に対し「ノー」を言わず自分で呑み込むことによって,自組織の「破壊」を招く。 一見「改善」「改革」「進歩」のように見えるものは,土台・基礎基本の蔑ろとのトレードオフになっている。 そして,土台・基礎基本の脆弱化が,<事故>を招く。 土台・基礎基本の脆弱化が招く事故なので,それは組織破滅的なものになる。 組織の社会的信用は失墜する。 これが,理不尽な要求を呑み込むことの結末だ。 問題の要点は,つぎのようになる:
理不尽な要求をする側が,要求が理不尽であることをずっと知らないままでいる 実際,文科省は,大学を知らないので,大学に対する彼らの要求の理不尽さを知らない。 大学執行部は,現場を知らないので,現場に対する彼らの要求の理不尽さを知らない。 してみると,一番悪いのは,「ノー」を言う立場でありながらそれを執拗に言おうとしない者ということになる。 よって,ひろく大学論を興し「大学の分限」「大学道」を厳格に論じることが,いま最も必要なこととなる。 「大学破壊」の進行を目の前にしてまことに迂遠な方法に感じられるが,
確信的に「大学破壊」を進める |