Up <沈黙>がクリティカル・ポイント 作成: 2006-08-31
更新: 2006-08-31


    大学における「大学破壊」の自傷行為を<場の力学>のような視点で見るとき,<沈黙>が重要な要素になっていることがわかる。

    沈黙は,己が占める場を自ら捨てる意味をもつ。 そして,その時に支配的な勢力が,この空いた場に入ってくる。

    あまり意識されないが,言論は体裁ではなく,力のせめぎ合いである。 <沈黙>という形で力を抜くと,相手に押し切られ,自分の立場を失う。 力を抜くことは造作ないが,これによる失地の回復はとんでもなくたいへんなものになる。


    言論が体裁ではなく力のせめぎ合いであることは,逆に発言がひじょうに強力に機能するところを見るとよい。

    たとえば委員会は,たいていの場合,意見Aを強力に主張する者と意見Bを気兼ねして言わない者の場になる。 そして意見Aが委員会の意見になる。
    関係がこの逆だったら,すなわち気兼ねして言われないのが意見Aであり強力に主張されるのが意見Bだったら,意見Bが委員会の意見になる。
    このように,代議制はひじょうに危うい。

      国会の委員会がまだ救われているのは,メンバーが関係性の希薄な個人ではなく,政党の立場を担って出席しており,そしてこの出席以前に党内での議論を積んでいるからである。

      ソロバンが使われていた時代,ソロバンは算数の指導内容になっていた。 そして,使われなくなることで,算数の指導内容から消えた。
      それからしばらく経って,とつぜん文部省学習指導要領に出てきて,話題になった。 大学で数学教育を専門とする者も,頭をひねった。 「数の桁上がりの構造を理解する素材として優れる」のような合理化がなされたと記憶するが,無理な論である。 おそらく,審議会のメンバーにソロバンを強力に主張する者がいて,他がメンバーがガチンコを嫌ってこれを認めたというのが,実際のところだろう。
      少数メンバーで構成される審議会では,このようなことが簡単に起こる。


    「中央指導」(トップダウン) の原因は,執行部の強権に求められるのではない。 沈黙によってそれを許したボトムの方に求められる。

    実際,沈黙が強権を招く。
    そして,強権は黙認されるので,強権は自らを強権と感じることがない。


    そして,最も拙いことに,妥協的沈黙から始まった沈黙は,あるときから恐怖的沈黙に転じる。 すなわち,恐怖体制の幻想がボトムに生じる。 そして著しくは,これに応ずる形でトップが恐怖体制を実際につくる (幻想が現実化する)。

    程度の差こそあれ,大学でもこれはあり得る。 実際,「執行部に逆らうようなことを言えば/行えば仕返しを喰う」のような幻想は,一部に無いとはいえない。
    これは,「沈黙が,幻想の自己増殖の場になる」という,沈黙の最も危険な相。


    大学人は,<沈黙>の力学を理解しなければならない。
    このことはトップ (大学執行部) も同じ。 恐怖幻想の醸成ないし恐怖体制の形成がトップに利するところは,何もない。