Up | 法人化の状況 | 作成: 2006-06-24 更新: 2006-06-26 |
国立大学法人化はいま「大学破壊」の様相で進んでいる。 後から振り返って「なんであんな馬鹿なことをやってしまったんだろう?」と思うようなことを,いっしょうけんめいやっている。 「国立大学法人化」とは,もともと,「国立大学のリストラ」のことであった。 ところが,文科省が主導的立場を取り返したくて,「大学改革」のプログラム/マニュアルの作成に血道をあげた。「国立大学法人化」は,官製の「大学改革」になった。 もっとも,大学にも甲斐性がなかったわけだ(大学がだらしなかった)。リストラの課題に「大学改革」をかぶせるのは大学自身が考え,行うことなのだが,大学は官製「大学改革」をあっさり拝受した。 大学の知を指導しようとかかる役人も役人だが,これにあっさり従う大学も大学だ。 「大学はなんでこんな体たらくなのか?」の問いには,日本の大学の「歴史の浅さ」を答えるのが順当だろう。 明治維新で先進国を追っかける態で始まった新国家建設の中に,「大学」もあったわけだ。たかだか百年ちょっと,ヨーロッパの大学とはいまもって,鍛えられ様も哲学も役割意識も,遠く及んでいないということか。 そんな日本の国立大学がいま,官製「大学改革」をなぞるのに一生懸命でいる。 さらに,この官製「大学改革」のなぞりを,大学破壊 (教育·研究破壊) としてやっている。 いまは,官製「大学改革」をなぞって,雑務をたくさんつくって互いに忙しくさせることが「いいこと」のように思っている。 しかし,その「いいこと」は,数年経って振り返ったときには,「なんであんな馬鹿なことをやってしまったんだろう?」になる。 実際,いま「いいこと」と思ってやっていることは,もっぱら枠づくり。 内容になる物のこと,内容をつくる者のことは,まったく考えていない。 "If I build it, they will come." の態だ。 そして,教育·研究に専念し教育·研究の水準を高めることを本務とする者が,専門性をドブに捨てるような雑務で消耗する。 「大学が立つのには何年を要するか?」にどう答えるかで,大学人の知力の一端がわかる。 官製「大学改革」をなぞっている者には,ヨーロッパの大学のような「大学」は念頭にない。 にぎやかなイベントパークのような大学が,彼らのイメージにある。そしてそれは,「中期計画・中期目標」で構想するには,確かに格好のものである。 |