Up 夕張市の破産 (無関心/無責任) 作成: 2006-07-01
更新: 2006-07-01


    ひとは,後から振り返って「なんであんな無思慮なことをやっていられたんだろう?」と思うようなことをする。

    現在,夕張市の財政破綻 (財政再建団体への転落) が,ニュースになっている。
    負債総額は,6月29日の時点で公表されている限りで,632億4千万円 (市の財政規模の約14倍)。

    ニュースに出立てのときは,約10年続けられてきた赤字隠しの手法(資金不足を一時借入金で穴埋めして年度を越し,その資金不足を今度は貸し付けの形にする)が噴飯ものとして取り上げられたが,「財政再建団体への移行」の展開を受けて,いまの主調は「度外れた負債の額にあきれかえる」だ。


    問題は,何でこんなことになったのかだ。
    こんなやり方が続くわけのないことは,だれでもわかる。
    前·現市長や市役所職員のアタマが悪いかといえば,「そんなことはない」となるだろう。

    今朝のテレビの時事番組で,一人の (前だか現だか忘れたが) 夕張市議がこんなことを告白していた:

      市長側から降りてきたものには,何かを言う雰囲気ではなかった。
      決算では,"どうせ認めるだけなのだから決算書を出してもらわなくてもいいのでは" と言い出す議員もいたほど。

    これが,「何でこんなことになったのか?」への答えだ。


    市全体が,いま起こっている/進行している問題に無関心を決め込み,そしてついに無関心になる。 「だれかが解決にあたらねばならないが,それは自分ではない」の無責任が,全体を支配する。

    ひとは無責任になると計算をしなくなる。
    計算をしなくなると,万や億の桁の大きさ,桁の違いがどうでもよくなる (見えなくなる)。

    こうして,「632億4千万円の負債総額 (市の財政規模の約14倍)」を目の前に突きつけられても,他人事のようになる──責任意識も反省もわいてこない。


    「学長の強力なリーダシップ」体制は,
      上から降りてきたものには,何かを言う雰囲気ではない
    の精神風土をつくる。言うのも面倒・億劫になってくる。「言う」とはサービス精神のなせるわざなのだが,そのサービス精神がなくなる。それは,無気力,無責任の蔓延する状態。そして,無気力,無責任は,思考·計算の痴呆に進む。──これは,警告などではない。既に現実になっていることだ。