Up 評価社会でのマスコミの増長 作成: 2006-07-22
更新: 2006-07-22


    先に,「評価社会──高ストレスと知力劣化の構造」において,評価社会の本末転倒性を論じた。 ところで,この「評価社会」推進の役割を自任しているみたいな風なのが,新聞,放送等のマスコミ。

    マスコミが「評価」を示す様は,今日「増長」の一言に尽きる。
    なぜこうなるのか?

    小さな工場での物作りのように,編集をやっている。
    小さな工場の物作りと違っている点は,(守備領域の広さから) 扱っている素材がどれも専門外ということ。 専門外なのに,知っているような口をきく。少なくともこれを仕事としなければならない。
    しかし,これに慣れてくると,尊大になる。
    政治や個人に対する上げたり落としたりの無節操さにも,気をかけなくなる。

    ただし,これをするのがマスコミの社会的役割。否定されることではない。
    問題は,マスコミのカウンターパート (言論でマスコミの繰り出す「評価」を批判する役) が存在しないということだ。批判されないので,自分の繰り出す「評価」のレベルが見えず,安心し,増長する。

    現在,大学教育はクリティカルな局面をむかえている。 しかし,いまの状況の深刻さ──長いスパンで,そして本質的に大学教育を考えたときの状況の深刻さ──は,少なくともマスコミのレベルでは,主題として見えていない。

      読売新聞の北海道支社などは,北海道教育大学と相互協力に関する覚書を締結している関係から,現行路線を「いいこと」のように報道しているが,大学教育の本質論から遊離した論説であって,いかにも危うい。

    今日,インターネットのおかげで,個人でもマスコミに言論で応じることができるようになった。 マスコミの質を高めるという意味から,マスコミ批判をわたしたちの実践課題の一つにしていくべきだろう。