Up 財政の理解共有のための情報/データ提供 作成: 2006-05-28
更新: 2006-05-28


    『北海道教育大学中期財政指針(案) ─入るを量りて出ずるを制す─』は,その内容を捉えようとする者にとって,ブラックボックスである。
    ただ言葉が踊る。

    わたしにとって『指針(案)』は理解不能である。
    ただ,わたしは数学教育担当なので,
      「わからない者は,わからないのを自分のアタマの悪さのせいにして黙する
       傾向があるが,<わからない>はしばしば<わかりようがない>に因る」
    ということを知っている。
    よって,ただちに自分のアタマのせいに帰することはせず,<わかりようがない>方を先ず疑ってみることにした。


    『指針(案)』作成者が,受け手のせいにすることができるものは,唯一,予算検討委員会等資料として渡している「平成18年度学内予算配分」を受け手が読んでいないということだろう。
    そこで,「平成18年度学内予算配分」を,文句を言われない程度にきちんと読むようにした。( 2006年度 財務計画 /北海道教育大学)

    この作業の結果,つぎのことは自信をもって言ってよいという結論に至った:

      「平成18年度学内予算配分」でわかることはせいぜいフレームであり,それ以上ではない。財務の内容・意図 (要するに<中身>) はわからない。<中身>がわからないのは,読み手の推理/洞察/想像の力の欠如によるのではない。そもそもそれを伝える記述がないことによる。

      例えば,「大学再編を円滑に実施するために必要な経費」「教育充実のための新規事業や重点事業等への資源配分」が実際にどのような中身であるかという記述/データは,何もない。そしてこの中身は,これに直接係わらない者がフレームから推理/洞察/想像し得ることではない。


    『指針(案)』が受け手に理解不能であることは,受け手に咎はない。
    とすると,執行部は『指針(案)』が理解されることを求めてはいないことになる。
    では何を求めているのか。
    理解することを求めているのでないとすれば,つぎのものしか残らない: 信じることを求めているか,あるいは,受け流すことを求めている。
    執行部にとっては不本意な結論に違いないが,教育/研究を生業としている者が『指針(案)』を評価すれば,このようになる。

    『指針(案)』は,受け手の理解を求めるように作成されねばならない。 そこで,いろいろある欠如 (『中期財政指針(案)』の書き方) を埋めねばならない。
    そして先ずは,財政の内容・意図の理解共有のための情報/データをしっかり提供することが必要である。