Up 学長選考会議による学長再々任決定の含意 作成: 2006-01-08
更新: 2006-01-08


    2005年5月 学長選考会議は,「学長再々任」という形で,任期が切れる学長の続投を決定した。これに遡る 2005年3月制定の学長選考規則は,「学長再々任」を見込んでつくられていた:

      第5条
        学長の任期は4年とし,再任されることができる。ただし,引き続き6 年を超えることはできない。
      1. 前項ただし書の規定にかかわらず,学長選考会議は, 特に必要と認める場合,教育研究評議会の意見を聴取の上,さらに2年に限り再任させることができる。

    かくして,<任期満了>とか<民意を問う>というデモクラシーの基本装置が捨てられた。

    岩見沢校教授会では,学長選考会議の学長再々任決定に反対する動議が出されたが,動議の取り上げそのものが副学長/岩見沢校により拒否された。


    しかし,函館校では,学長選考会議の学長再々任決定への異議が教授会で決議された ( 函館校教授会決議 (2005-08-19))。

    学長選考会議決定による学長居座りは,「学長」のタイトル失墜をもたらした。
    以降学長は,「工作して学長に居座った学長」ということで,カギ括弧付きの「学長」になった。


    この事件は,つぎのことを明白に示した:

      本学教員から出ている少数代表者も,デモクラシーの装置を平気で壊す。

    大学教員であることは,デモクラシーに対する造詣の深さ/見識の高さとは関係がない。
    デモクラシーの装置の意義は,それの理解の経験が浅い/無い者にはわからない。よって,大事と小事を取り違えることをやってしまう。
    学長選考会議は,「組織の利益・不利益」に関する自分の狭隘な主観を,デモクラシーの装置に優先させた。


    「デモクラシー」の哲学では,「組織の利益・不利益」(の主観) を相対性・不確定性に位置づける。特に,「少数の卓越した知者の判断/指導」というものを認めない。
    デモクラシーは,「エリート意識がもたれた指導が組織をだめにしていく」多くの事例を歴史や現前に見て,これの深い反省・自戒に立つ。そして,エリート意識に起因する組織毀損を防ぐための装置を開発した。
    併せて,デモクラシーは,個の多様性という歴然とした事実に<自然>の妙を見ようとする。一見不安定に見える個の多様性の現前が,組織に健康と強さをもたらしていることに着目する。

    デモクラシーは,本来,大学人にとっては常識中の常識。
    また,教員養成大学である本学では,さまざまに変調されつつ,デモクラシーが学生に教育されている。
    しかし,本学の運営のことになると,デモクラシーが二の次のことにされてしまっている。
    特に,しばらく前から,大学教育のゴール・内容・クオリティと深く関わること(大学経営で最も重要な問題)は,すべて「(事後)報告」扱いで,「少数の卓越した知者の指導」から降りてくるようになった。

    この意味を考えるとしよう。

    「少数の卓越した知者の指導」は,「組織の利益・不利益は,自分たちの指導にかかっている」という意識に立っている。
    「組織の利益・不利益は,自分たちの指導にかかっている」わけだから,自分たちの指導を手放すわけにはいかない。手放してしまうと,これまでせっかく築いてきたことを,「衆愚」が「台無し」にしてしまう。

    「少数の卓越した知者の指導」は,「衆愚を導く」という「高い使命感」に裏付けられている。
    特に,プロセスは,結果において首肯されると考える。
    「衆愚」のそのときどきのクレームにくじけないないのは,この「正しさはわれにあり」の意識があるからだ。

    これは端的に,「前衛─大衆」の図式。
    そしてこれは,デモクラシーが最も警戒し,退ける図式だ。

    デモクラシーは,「前衛」を「自惚れ」と見なす。深い歴史認識と自戒に立って,デモクラシーは「前衛」思想を退ける。


    学長選考会議は,つぎの2つの選択肢のうちから,A の方を選んだことになる:

    1. 「組織の利益・不利益は,自分たちの指導にかかっている」という「前衛」路線
    2. 従来の規約が保証しているデモクラシーの保持

    この意味で,「前衛」かデモクラシーかの二者択一の場が学長選考会議だった。


    しかし,大学人は「前衛=少数の卓越した知者の指導」は受け入れない。
    デモクラシーの手順を踏まない学長続投は,単に「学長」僭称になる。
    大学では,デモクラシーの形を踏まないと,「学長」と認めてもらえない。大学とは,そういう場だ。