Up | 「強化されたリーダシップ」の要件 | 作成: 2006-01-16 更新: 2006-01-16 |
「強化されたリーダシップ」が無条件であってはならないことは,例えば官僚組織に「強化されたリーダシップ」が導入されたらどうなるかと考えてみればよい。どこぞの怪しい独裁国家のようになること必至。 先ず,大学の場合「貧困な組織なので強化されたリーダシップを!」はダメ。貧困な組織を「お里」とする者がリーダーであれば「貧困な組織の貧困なリーダシップ」になるのみで,専制に堕するのがおち。「強化されたリーダシップ」は,きちんとした組織でなければ機能しない。 また,「強化されたリーダシップ」を「トップの考え・方針を下に降ろす」「下を押さえつける」みたいに考えると,これまた貧困な専制に堕する。 智恵/技術は,トップにではなく,下流/川下(かわしも) にある。したがって,「強化されたリーダシップ」は,(1) 下流/川下(かわしも) の智恵/技術が効果的・効率的に発現できるようにし,(2) 結果として現に起こっていることへの責任を明確にする,というところで発揮されるべきものになる。 したがって,つぎのことが,「強化されたリーダシップ」が機能するための組織の要件になってくる: 法人化以降の北海道教育大学では,「強化されたリーダシップ」は,大学評価の点数を稼ぐ仕事づくりに精を出す。 デモクラシーの装置・組織風土が貧困なので,これにチェックがかからない。「責任」の装置が貧困なので,「これがいいことなのか?」「この先ほんとうにこれでやっていけるのか?」が問われずに,点取り主義路線が進められる。 下流/川下(かわしも) では,教育・研究という営為の深さを知っているので,点取り主義の危うさ,ダメさ加減を承知している。いずれ破綻することを予想している。しかし,組織は破綻の道を歩む。 これは,負けることがわかっている戦争に国が突入するとか,やがてバレて社会から制裁を受けるに決まっている犯罪を企業がやってしまうのと,まったく同じ構造──「拙いと知っていて行う/流される」。 この構造は定めしひじょうに強固であり,したがって「強化されたリーダシップ」の問題は本学教員が概して感じているよりはるかに深刻なのだ。 「強化されたリーダシップ」は,言うまでもなく,リーダーの資質の問題が大きい。 特に,個人と組織の<次元>の違いを理解できないリーダーは,ダメ。このようなリーダーは,自分と組織を同一視する。走りながら考えるは,個人のレベルではあり得る。組織でこれをやったら,組織はつぶれる。よって,賢明なリーダーは,企画は実験プロジェクトで起こし,なおかつリスク分散を考える。 北海道教育大学の「強化されたリーダシップ」は,自分のアイデアを直接「大学」で試すということをしている。北海道教育大学がもろに「強化されたリーダシップ」のアイデンティティとアイデアの実験場になっているわけだ。 実験系の人間なら,失敗の確率を踏まえて,実験のコスト,規模,方法を合理的にはじきだす。しかし,「強化されたリーダシップ」は,「取り返しのつかない局面」をつぎからつぎと進行させることをやる。
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