Up 要 旨 作成: 2006-08-24
更新: 2006-08-24


    国立大学の法人化で,評価委員会/文科省は,「学長の強力なリーダシップ」を<よいこと>として指導する。 ここでは,つぎのことが信じられているわけだ:

    1. 能力・資質の申し分のない者が執行部を形成する。
      (大学という組織は,このことが実現されるようになっている。)
    2. 能力・資質の申し分のない者が執行部を形成するので,「学長の強力なリーダシップ」は<よいこと>である。

    さて,この指導が現実にもたらすものは何か?
    この指導を利用する形で,前衛を自ら任じるグループが大学執行部をとり,「学長の強力なリーダシップ」を行う。


    「学長の強力なリーダシップ」は,執行部と毛色を異にする者にとっては,不合理な状況である。 同時に,この状況において自分の考え方・立場が劣勢であることを感じる。

    ひとは不合理な状況に立たされ,そしてその中で自分の考え方・立場の劣勢を感じ出すと,思考停止という退行的順応を行う。 覚醒はフラストレーションを招くだけなので,自らを眠らせるわけだ。

    執行部の方針についてきた者も,状況の推移に将来的な危うさを感じる。しかし「いまさらリセット/後戻りはできない」の思いで,惰性/成り行きに身をまかせる。
    「学長の強力なリーダシップ」は,組織にこのような精神状態をもたらす。──退行,諦観/傍観,無責任。


    ただし,組織の精神の状況は,これまでの組織風土と密接に関連している。
    前衛主義や長老政治を組織風土としてきた大学では,退行,諦観/傍観,無責任の精神状況は自ずとひどくなる。

      「退行的順応」については,このように「組織風土」(特に,自由主義/デモクラシーの意識の程度) を併せて考えることが必要になる。しかし,組織風土に密接に関わる内容は,ケーススタディの趣がより強いものになり,本論考の一つの章という形には収めにくい。そこで,これについては『組織が壊れる形のケーススタディ』において扱うものとする。

    本論考では,「学長の強力なリーダシップ」に対する「退行的順応」の一般的構造を考察する。 そして,これをつぎの2つのセクションに分けて論ずることにする:

    • 退行的順応 (1) ──本質論/原則論の衰弱
    • 退行的順応 (2) ──諦観/傍観,無責任