Up | 本質論の衰弱が「非国民」差別をつくる | 作成: 2006-07-03 更新: 2006-07-03 |
「個の多様性」の立場は,「天の配剤」みたいなことを自ずと受け入れていることになる。 何事にも賛否両論が起こる。 対外戦争 (例:国の戦争,大学執行部が進める大学生き残り策) に際しては,賛成して協力する者と反対して非協力な者が出てくる。 後で振り返ると,これが組織の生存にとって意味あることだったのがわかる。──この意味で「天の配剤」。 しかし,戦争に入ってしまうと,反対者はその立場を保ちにくくなる。 自由主義/デモクラシーの未熟な組織では,「非国民」をつくる意識と「非国民」にされたくない意識が相応じて,みな協力者になる。 自由主義/デモクラシーは「多数決」をルールとする。 このルールを直接適用すれば,多数が戦争に賛成するときは,反対者は「非国民」にされてしまう。 これは自由主義/デモクラシーの本意ではない。 では,自由主義/デモクラシーはこれをどのように解決する? 自由主義/デモクラシーは,「多数決」ルールが「個の多様性」の抑圧にならないように,「少数意見の尊重」(「言論の自由」) を定める。 ただしここのところがほとんど理解されていないのだが,「少数意見の尊重」の意味/機能は,「本質論の担保」である。実際,「少数意見の尊重」が本質論を起こし保持する契機/装置になる。
翻って,戦争において反対者がその立場を保ちしかも「非国民」にされずに済むかどうかで,組織における自由主義/デモクラシーの成熟度が測られる。 <生きる>とは<戦争>すること。 よって,肝心なことは,戦争に入ったとき,反対者がその立場を保ちしかも「非国民」にされないこと。 そして,これを実現する方法論が,「本質論の担保」。──これが「天の配剤」を生かす方法ということになる。 法人化の大学で反対者がその立場を保てるかどうか (「個の多様性」が法人化の大学で生きられるかどうか) の問題は,大学人が本質論を持ち堪えることができるかどうかという問題に他ならない。 |