Up 大学における言論の自由の必要 作成: 2006-08-27
更新: 2006-08-27


    法人化は,国立大学にとって言論の危機である。
    大学執行部は,<よそいき>の気分になる。 一般企業の真似をしなければならないと思う。 特に,言論は大学の営業 (彼らが「営業」と考えるもの) と齟齬するものであってはならず,大学の営業に差し支えるような言論は規制/統制しなければならない,と思うようになる。


    この傾向は,田舎的な共同社会の体質とマッチする。 お互い自分の組織の都合の悪いことは言わない,相手の粗を言わない,という体質。

    しかしこの体質は,一定規模の企業では,危機管理の面で危険要因になる。 企業が危ない方向に進んでいるのに,ストップがかからないことになるからだ。
    実際,いま日本の企業は,この体質の改変に取り組み始めている。


    このことを押さえた上で,国立大学における「営業に差し支えるような言論」とは何か? という問題の立て方をしなければならない。

    国立大学の本分は,学問である。金儲けが目的ではないし,また一定の目的をもっているわけでもない。目的は開いている。そして,目的を開かせておく方法として,一般の規範から超然とすることを自らに課す。
    特に,言論は大学の外にあるのではなく,大学を構成する要素でありモーメントであると見なされる。 言論は互いに闘わされるものであって,排除・排斥されるものではない。
    これが大学の言論観であるので,「営業に差し支えるような言論」という問題は立たない。──実際,「営業に差し支えるような言論」の定立は,大学の場合,論理矛盾である。