Up | 点数集めと教育·研究軽視 | 作成: 2005-11-20 更新: 2005-11-20 |
なんでもかんでもやっていれば安心できる。周りと合わせておけば,自分のところが目立たずに済む。リスク分散の効用もある。 しかし,限られた資源で「なんでもかんでも」ができるわけがない。で,どうなったか。教育・研究の方をおろそかにするという,本末転倒が生じた。そして,これに慣れる (感覚麻痺する) ほどに,教育・研究軽視がいっそう大胆にになる。 経営の常識は,製品の品質を高めることによって競争力を高めること,そのために資源の重点的配置を行う,というものだ。大学で品質を高めねばならない当のものは,教育・研究。 ところが,点取り主義で,大学は装飾の方に手を拡げることに熱中する。 手を出したものの項目を報告書に書き並べれば,数が多いほどたくさんやったように見える。 肝心なのは,もちろん,数ではなく重さだ。しかし,この単純なことが,点取りで自分を目一杯しまうと見えなくなる。
10個の項目に手を出して,その分,教育・研究に100点のマイナスが生じたとする。また,10個の項目のそれぞれで,1点のゲットがあるとする。このとき,差し引き 90点のマイナスになる。 しかし,教育・研究のマイナスが見えない執行部は,書類に並んだ 10個の項目を見て,「これで大学評価にパスできる」と安堵する。 そもそも,大学を点取り主義に走らせる「大学評価」とはどのようなものか? 大学評価は,大学からの報告書 (「業務実績報告書」) に対して国立大学法人評価委員会/文科省が評価結果を返す形で行われる。(評価委員会/文科省による「評価」の実態) 評価はきわめて事務的である ( 「2004(平成16)年度に係る業務実績の評価結果について:北海道教育大学」)。報告書中の文言それぞれの内容になるものを実態調査して評価しているわけではない。 このようなものに点取り主義的に応じることは,愚である。 |