Up 評価委員会/文科省による「評価」の実態 作成: 2005-12-26
更新: 2005-12-26


    北海道教育大学は,評価委員会/文科省による大学評価への対策に,多くのコストをかけてきている。 特に,「装飾」(なくてもいいもの) に過分なコストをかけることをして,教育・研究を軽視するという,本末転倒をおかしている (§ 点数集めと教育·研究軽視)。
    では,このコストに対して返ってくる「評価」は,そもそもどのようなものなのか?

    先ず,各国立大学法人から出される「報告」とこれに対する評価委員会/文科省の「評価」は,定型 (すべての国立大学法人に対し共通) であり,つぎのようになっている:




      (1) 業務運営
         の改善及び効率化
      [1] 運営体制の改善
      [2] 教育組織の見直し
      [3] 人事の適正化
      [4] 事務等の効率化・合理化
      (2) 財務内容
         の改善
      [1] 外部研究資金その他の自己収入の増加
      [2] 経費の抑制
      [3] 資産の運用管理の改善
      (3) 自己点検・評価
         及び情報提供
      [1] 評価の充実
      [2] 情報公開の推進
      (4) その他業務運営
         に関する重要事項
      [1] 施設設備の整備・活用等
      [2] 安全管理
      (5) 教育研究等の質の向上

      「報告」 平成x事業年度に係る業務の実績に関する報告書 A3
      財務諸表 A4版
      決算報告書 A4版
      「評価」 国立大学法人xxx大学の平成x年度に係る業務
       の実績に関する評価結果
      A4版
      4〜5頁


    北海道教育大学 (平成16事業年度) の場合は:



    さて,この「評価」では,サイズからもうかがえるように,内容に踏み込まねば評価できないような事がらは,評価できない
    評価対象になり得るのは数値化されるものであり,それはせいぜい財務である。

    「法人化」の課題は,財政改革の一環として起こった。"財務に関して現場は容易に従来の「ぬるま湯」から脱しようとしないだろうから,財務の評価を導入してリストラを進めさせる。" ──この考えは,合理性をもつ。
    しかし,「評価」は,財務の評価にとどまらないで,教育・研究の体制/方法/企画までも評価の対象にした。しかしそんなことはできるはずもなく,実際,評価は表面的/トピックス的評価になった。

    そこで何が起こることになったか?
    教育・研究の体制/方法/企画について確固とした信念のない大学は,「評価」が行う表面的/トピックス的評価にキャッチされ得るような形で,教育・研究の体制/方法/企画をいじり始めた。
    「報告」のために何を標題化するかというときに手本とされたものは:



    教育・研究は,構造的に深く,見えないコストで支えられ,そして長い時間スパンで考えねばならないものなので,<表面的/トピックス的評価にキャッチされ得る>ような形でいじられると,めちゃくちゃになってしまう。

    しかも,<いじる>主体が,しっかり用意されてしまった。「強化された学長のリーダーシップ」だ。

    評価委員会/文科省に対しては,「余計なことをやってくれたものだ」と,つくづく思う。
    評価委員会/文科省は,どうして教育・研究の体制/方法/企画にまで口出しするという<傲慢>をやったのか。──この<傲慢>は彼らの<無知>の裏返し。

    わたしは,教育・研究のプロフェッショナルとして,彼らの<傲慢/無知>の構造がよくわかる。
    それは,<一時の流行にのる (視野狭窄)>というものだ。これは,油断するとついつい陥る。

    • 視野狭窄に陥らないための方法は,歴史を知ること,あるいは文化の多様性を知ること。「教育・研究」という<経験>の形を,深く広く知ること。
    • 評価委員会/文科省が「評価」で使っている項目/基準の時代性・地域性をきちんと捉えれば,「評価」に踊らされることはない。
    • 「学習指導要領」に典型的に示されるように,視野狭窄は文科省の十八番 (おはこ) だ。この原因の一つには,職員の定期異動があると思う。──すなわち,歴史 (=一定周期で同じ過ちが繰り返されている歴史) を知る者がつくられないということ。


    そもそも,教育・研究は,「教授会」を「強化された学長のリーダーシップ」に替えてうまくいくようなものではない。──少なくとも,「強化された」という風情のリーダーシップに導かれるものではない。

    実際,北海道教育大学において「強化された学長のリーダーシップ」「スリムでシンプルな組織体制」「機動性、活性化が図られた大学運営」がもたらしたものは何だったか? (ろくでもないものならすぐ挙げられる。──学長任期の規定を勝手に変えて学長に居座る,わけのわからない (教科破壊の) 札幌校の新課程,等々。)




    参考