Up 組織とコミュニケーションの関係 作成: 2006-01-27
更新: 2006-01-27


    組織はコミュニケーションがすべて。コミュニケーションが組織をつくる。
    実際,一定のコミュニケーションを起こすことが,組織を起こす理由。

    組織の単純・複雑は,コミュニケーションの単純・複雑。
    大学は大きく複雑な組織であるが,その意味は「多様なコミュニケーションを内包している」ということ。

    大学という複雑なコミュニケーション・システムは,歴史によって練られきたことの結果として,いまがある。にわかにゼロからこのシステムを構築しようとしても,システムの巧妙に気づき・捉えるのが至難なため,うまくはいかない。
    よって,新生大学は,失敗学を旨とする長いテスト期間を必ず要する。


    組織は,コミュニケーション・システムだ。
    組織を甘く見て<傲慢>を為す者は,組織をハードウェアのように見ている。コミュニケーション・システムだということを理解すれば,その把握・制御の難しさの見かけを前にして,少しは謙虚になるだろう。
    この意味で,大学をコミュニケーション・システムと見ること。そして,コミュニケーション・スタイルとして<傲慢>を考えること。そうすれば,<傲慢>の愚は容易にわかる。──実際,勝負は明らか。

    ちなみに,大学評価制度は,<傲慢>に拍車をかけ,失敗学を退ける。計画は達成して点数がつく。計画の愚かさがわかってきても,「計画として一旦立てた以上は,達成しなければならない」となってしまう。その都度失敗から学んでいくという謙虚で正しいスタンスは,ますます失われる。──もともと独善的な体質をもつ大学執行部においては,なおさらのこと。

      例 : 参加教員が確保できず,「北海道スタディズ」が立たない状態になっている。
    「北海道スタディズ」は,中期・年度計画の「教育理念等に応じた教育課程を編成するための具体的方策」で「北海道に関する総合的理解を企図し,全学共通科目として開設される北海道スタディズの充実を図る。」となっているところのものだ。しかし,現場から上った企画ではないし,学問/サイエンスとして立てることの合理性について議論されたこともない。「北海道」をキーワードにしたいがためのアドバルーンの一つ。このような経緯だから,参加教員が現れてこないのも当然。
    「北海道スタディズ」を立てるとは,北海道教育大学というコミュニケーション・システムの中に一つのサブ・システムをつくること。しかし,それがどのようなコミュニケーション・システムかという思考なしに,授業科目総覧に「北海道スタディズ」の授業科目名を加えるという感覚で計画実現を図っている。
    計画のやり方の失敗を<謙虚>に認めるという選択は,いまの大学執行部にはない。参加教員の供出を各分校に割り当てる<傲慢>を見せてくるだろう。