Up | 合理的な進取の体勢 | 作成: 2006-01-27 更新: 2006-01-27 |
ひとは失敗する。 挑戦は失敗を伴う。 他に迷惑をかけたり禍をもたらす失敗をしたら,きちんとあやまる。ただし,失敗であやまるのと罪を犯してあやまるを,区別しなければならない。失敗は,犯罪ではない。 失敗してあやまることを嫌いだすと,組織はくだらなくなる。 近頃は,どこもかしこもやたら意気地が無くなっているように見える。 これは,「失敗学」をきちんと科学的に築こうという体勢が社会にできていないことにもよる。気分的な「失敗学」はもろい。失敗と犯罪をいっしょくたにする批難/論難 (マスコミに代表されるもの) に,すぐに降参する。 失敗を犯罪のおもむきであやまりだすと,モラル・ハザードを招く。 社会的信頼を旨とする個人や組織は,「面倒や泥沼化を嫌って,適当にあやまっておく」ということはしてはならない。
他に禍をもたらす失敗と犯罪の間に明確に線を引くことは,できない。 検察の犯罪立証などでは「犯罪の意志」とか「未必の故意」とかを問題にする。 しかし,意志や思いとは関係なく「犯罪」にしなければならない「挑戦」がある。それは「独善」の行う「挑戦」。 独善か否かを分ける規準は,合理性。そして,合理性とは,(サイエンスを含む) デモクラシーの手続きを経て認められる合理性のこと。 失敗してあやまることを嫌いだすと組織はくだらなくなる。組織は進取の体勢を保ち発展させねばならない。 ただし,「合理的な進取」であることが条件。──「合理的」の規準は,(サイエンスを含む) デモクラシーの手続きに則って「合理的」と認められること。 北海道教育大学の現状では,「合理的な進取」が課題になるためには,併せて「独善」をこれから区別する作業が必要になる。 法人化以降,大学執行部の独善は目に余る──したい放題になっている (§ 大学評価制度への対応,§ 学長)。将来を考えるなら,大学スタッフは,根気強く (面倒くさがらずに) これらにチェックをかけることをしていかねばならない。 |