Up 合理性につく 作成: 2006-01-13
更新: 2006-01-13


    大学評価は,行財政改革を背景に制度づけられたものであることから,大学改革での対立を「改革-対-保守」の図式でとらえようとする。 しかし,保守も「改革」の装いを容易に纏える。

    「改革」がうわべのものか本当のものかの判定は,提出書類を読んだりトップの話を聞いたりの方法では,本来無理。特に,教育改革などは,第三者が現場に入って調査という方法でも,確かな評価は無理だろう。

    大学改革での対立は,結局は「合理-対-不合理」。実際「改革-対-保守」も,「合理的な改革-対-不合理な保守」とともに「不合理な改革-対-合理的な保守」もそこかしこに現れてくるというのが現実だ。


    合理性にきちんとつけるためには,経験値と専門性が要求される。経験値と専門性は,改革への気概で代替できるものではない。

    不合理な改革の結果は,組織破壊。不合理な保守の結果も,組織破壊。
    組織改革のゴールを合理的に立て,そしてそのゴールに合理的にアプローチする。
    言えばあたりまえだが,このあたりまえのことが実際には行われない──たいていは:

        やりたいことの漠然としたイメージ
      → 予算計上/獲得
      → 予算執行
      → 思惑違い

    になる。

    そもそも,国民の税金で運営されている大学では,お金が粗末に扱われるきらいがある。
    失敗プロジェクトも,「結果的に民間にお金を還元したわけだから,まあいいか」みたいになって,当事者に反省がない。
    変革プロジェクトは,だいたいが極めて専門性の高いプロセスでなっている。担当者は,プロジェクトの過程においても専門性強化の絶えざる精進が必要になる。
    しかし,大学の現状は,教員が,素人なのに役回りでプロジェクト担当に招集され,必要とされる専門的知識をつけるための勉強への動機付けが乏しいまま (特に,業者に強くもたれかかりながら),プロジェクトを進めるというもの。この結果は目に見えていている──すなわち,コストに見合わないパフォーマンスがそれ。

    このため,合理性にきちんとつかせるためには,<責任>を導入する必要がある。
    「任期 - 前任者 - 後任」のシステムは,「責任問題の時効」「つけの後回し」に悪用される。そこで,必要な時にはその都度説明責任を果たすということを,ルール/習慣にしていかねばならない。(§ 説明責任 (accountability))
    実際,これが「改革」の第一歩になる。