Up 規則遵守 (compliance) 作成: 2006-01-15
更新: 2006-01-15


    組織のモラル形成・保持の装置に,「説明責任 (accountability)」「情報開示 (disclosure)」と並んで,「規則遵守 (compliance)」がある。


    組織においてひとは様々なディレンマに出会う。そしてこのとき,自分かわいさから「身勝手な行動」に及べば,組織のモラル・ハザードが起こる。

      この種の「身勝手な行動」の大学での例として,最もありふれているものを挙げれば,それは (「温情」と呼ばれる)「成績の作為」。一人の教員と一人の学生の間でこれが起こるとき,全ての教員と全ての学生の間でこれが起こらねばならないような雰囲気が醸成され,組織風土として固まる。

      「成績の作為」で自ら教育をぐちゃぐちゃにしてしまった日本の大学は,いま「厳格な成績評価」を指導されている。
      ところが大学の現場は,「CAP」(年間受講科目数の上限設定) だの「GPA」(成績評価システム) だのと,自分に都合よく末梢的な問題にすり替える。
      「厳格な成績評価」は教員と学生双方におけるモラルの問題なのだが,モラルの問題としてこれに対峙することは,しようとしない。「組織風土」たる所以である。


    そこで,「ディレンマから個人を救い,そのことで組織のモラル・ハザードを防ぐ」ということが考えられてくる。そしてこれのソルーションが,「規則を導入し,これを遵守する」というもの。

    「これをしてはならない」という規則は,「この規則を盾に使って,ディレンマから抜けてください」という個人救済の意味をもつ。──実際,明文化された形で規則が存在していないと,従来型「気遣い」の組織風土の中で個人が独り「これをしてはならない」を貫徹するのは至難。

      わたしが担当する科目の「算数科教材研究」は,単位取得が学校教員養成課程の卒業要件になっており,したがってまた受講生数が多い。これに (「温情」と呼ばれる)「成績の作為」を適用すれば,この科目はたちまちモラルハザードの巣になって崩壊する。 ところが,いまの職場に就任の当初,「温情」を当然と考える学生が (さらに教員も) ドアをノックするという状況に際することになった。そこで,自分の担当科目全てにおいて,「厳格な成績評価」の約款 (契約) を明文化して学生に示すようにした。
      現在は「成績評価のキツイ教員」という認識が学生に定着し,適応してくれるようになってはいるが,「オンブズマン」に首の皮一枚の綱渡り経営であることは今も変わらない。


    規則は,気遣いの組織風土を改めるために導入する。組織員が数多の気遣いに流されなくて済むように,規則を導入する。これが規則の第一義だ。──以降,個人は,「規則遵守 (compliance)」を盾に,気遣いに流されることから自分を守れるようになる。

      再び「厳格な成績評価」を例にすると,つぎのような規則の厳格な遵守が,個人を気遣いに流されることから守る:

      • 出席は,評価の内容になるものではなく,評価 (試験) を受けるための資格要件。原則として,授業数の 4/5 の出席がなければ失格。
      • 欠席は欠席である。「出席扱い」という措置は無い。
      • 追試は,止む終えない事情で試験を受けられなかった者に対する措置であり,試験で不可になった者に再試験の機会を与えるものではない。
      • 再試は,ある事情で試験が無効になったときの措置である。

    なお,「道理」「正論」は明文化されていない規則。明文化された規則と機能は同じ。

    「規則遵守 (compliance)」の敵は,気遣いの組織風土。
    そこでは,「規則」の意味 (所以) をわかっていない者たちが,ある者の立場に気遣って,無法・無理 (本末転倒) を簡単に行う。
    学長再々任もその一つ。本館工事強行もその一つ。執行部の浅智恵に教員が付き合うのもその一つ。
    規則/道理/正論が引っ込んで,気遣いが通る。