Up | 組織モラルと規制の関係 | 作成: 2006-02-02 更新: 2006-02-02 |
これらの装置は,組織が本質的に良くなることとは,全く関係がない。 このことは,しっかり理解される必要がある。 説明責任,規則遵守,情報開示は,あくまでも,適切に (戦略的に) 用いられるべき道具。信仰の対象ではない。 これらを文書化すれば<規制>になるが,「そもそも,なぜ<規制>が組織で起こるか」をここで改めて考える必要がある。 結論から言うと,<規制>の意義は,モラル低下の現状を容認し,性悪説に立ち,けしからんことが起こらないよう牽制することにある。 <規制>のストラティジーは,「けしからんことを個々に退治してモラルの向上を実現」のストラティジーの対極にある。 <規制>のストラティジーは,
はじめからけしからんことが起こらないようにしよう」
日本は,個人責任の文化がなく,翻って馬鹿げた「上司責任」の観念がある。組織の一人が起こした不祥事は部署や組織全体がかぶらねばならない不祥事となり,上司やトップは深々と頭を下げることをさせられる。 だれとてこのような役回りはごめんなので,不祥事が起こらないようにする装置 (<規制>) を組織の中でいろいろ考え出す。そして,組織を窮屈にする。 これは,「組織のモラル向上」とは,全く逆の方向。自分の組織を,「規制を外せばけしからんことが起こる組織」と見なすことが出発点になっている。 モラルとは,けしからんことは「したくないから,しない」こと。「してはならないとされているから,しない」のではない。 「組織のモラル向上」のストラティジーは,けしからんことをした者を厳格に罰するということ。ことばの正しい意味において「一罰百戒」である。 「一人の悪のために,全体が不自由になる」を馬鹿げたことと認識することが大事。一人の悪を組織・社会の問題と化して<規制>の導入を提言することが,日本では昔から進歩的なように思われているふしがあるが,これは全く見当違い 規制の整備は,「出てきた悪を退治する」ことに対する気後れと,表裏をなす。 規制が入念なほど,その組織はなさけない組織であることを示している。
先の「繁華街への青少年の出入りに行政が門限 (条例化)」について:
一部に悪をする者がいる → 地域/行政としてこれを厳格に罰することに気後れする → よって,門限を条例化する。 愚劣ここに極まれり,だ。 少なくとも大学は,「自由」を最も大事にしなければならない。規制は,自由とのバランスにおいて慎重に考えねばならない。
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