Up | 「風速・気圧・気温」の存在論 : 要旨 | 作成: 2023-09-14 更新: 2023-09-14 |
ひとは,ことばを色々に用いる。 そしてその一つに,不明に対してはことばを以てこれに蓋をする,がある。 ひとは不明を,<何がどうだ><何がどうする>のことばに表現する。 実際は,その不明は,<何がどうだ><何がどうする>というものではない。 しかし,ひとは<何がどうだ><何がどうする>でやっていく。 これが,不明に蓋をしたことになる。 気象学も,ことばのこの用法を多用している。 気象は複雑系であり不明が満載なので,気象学は自ずとこうなるのである。 気象学をする者は,ことばのこの罠に落ちる。 不明を不明と思わない。, そして拙いことに,概念が基本的であるほどこうなる。 「風速・気圧・気温」は,気象学の基本語彙である。 しかしこの意味を気象学者に言わせれば,<何がどうだ><何がどうする>をてんでばらばらに,そして滅茶苦茶に言い出すこと必定である。 一方,この語彙の共有は揺るがない。 なぜ? それは,「風速・気圧・気温」が現実のものだからである。 意味を考えるより前に,計器に現れてしまうのである。 人の体も,この計器のうちである。──人は,「風速・気圧・気温」を体感してしまう。 理屈は,現実を後追いする。 学は,これである。 というわけで,「風速・気圧・気温」の概念の不明を改めて探ってみることにする。 |