Up フィクションからパラダイムへ 作成: 2021-07-27
更新: 2021-07-27


    NHK の科学特集番組の常套手法:
    専門家を登場させて,自説を言わせる。
    その「かも知れない」を,「である」に言い換える
    こうして,フィクションを事実にする。

    この手法は,何なのか?
    NHK の側に,事実にしたいこと──「P」とする──が先ずある。
    「P」を自説とする「専門家」を登場させ,「P」を唱えさせる。
    番組の視聴者は,大衆である。
    大衆にとって「専門家」は,事実を知り事実を説く者である。
    そこで,NHK は「P」を事実にできる。
    断定の物言いの「である」に変えるのである。

    大衆は,NHK のこの手法に騙され,フィクションを事実にする。
    洗脳されたわけである。

    一般に,大衆の洗脳は,たやすい。
    マスコミに「専門家」を登場させ,「専門家」にものを言わせればよい。


    大衆が「専門家」を信じるのは,学術の世界と無縁だからである。
    「専門家」とは,学術の或る分野を専攻している者のことである。
    大学院1年性も「専門家」である。
    実際,学生レベルからほとんど成長していない「専門家」は,ざらにいる──というより,それがふつうである。

    学術の或る分野を専攻するとは,大学の職に就くということであり,大学の職に就いていられるのに必要となる「業績」をつくるということである。
    そして,大学の職に就いていられるのに必要となる「業績」をつくることは,専攻分野の研究対象にアプローチできていることとは,まったく別のことである。


    地球は,人間が科学するには,膨大過ぎる。
    地球科学とは,もともと夜郎自大な試みである。

    ひとは「恐竜時代」の図鑑を見てその内容を真に受けているが,それは新たな発見によって簡単にひっくり返ってしまう代物である。
    実際,「専門家」がこれまでに発見したことは,発見されていないことの多さと比べたら,砂原の中の数粒の砂みたいなものである。

    「専門家」は,地球の僅かな数の点を突っつく。
    そのデータから,地球を描く。
    これは,途方もないフィクションをつくることである。
    実際,ちっぽけな0次元対象から巨大な3次元対象を定めるロジックは,存在しない。
    しかし,途方もないことがやられているということがわかるためには,数学の素養が要る。
    したがって,大衆は手も無く騙される。


    フィクションが事実に変えられるのは,これをすることが「専門家」の職分だからである。
    「専門家」は,《フィクションを事実に変える》で共犯関係にある。
    この共犯関係で,互いにもたれ合っている。
    この共犯関係が,彼らの「業績」づくりのしくみである。

    「重力波を検出」が,どんなふうにして事実となったかを想起せよ。
    それは,一つの学会における学会員の拍手によって,事実になったのである。

    このしくみは,「科学哲学」の主題になってきた。
    「パラダイム」である。
    「科学哲学」は,科学者の営みを真理の獲得(発見) であるとはしない。
    彼らがやっていることを見れば,それはフィクションづくりだからである。
    論より証拠,ある時代の科学的真理はつぎの時代には間違いになる。
    史料がこれを示している。


    科学者の営みは,真理を獲得することではなく,一つのフィクションを真理にでっち上げることである。
    科学者には,このことに自覚的な者とそうでない者がいる。
    そして後者が,「専門家」を自任して大衆を騙す者になる。
    「専門家」の特質は,単純・無邪気なことである。
    実際,単純・無邪気だからこそ,ひとを騙す行動に及ぶわけである。