Up | 気象学の劣化 | 作成: 2022-06-30 更新: 2022-07-02 |
「○○学」は,彼らの生態である。 「○○学」が○○探求の確かな成果の蓄積であるかどうかは,また別問題である。 実際,○○探求者が「○○学」の員になると,劣化が始まる。 探求の質よりも員の間の競争が,いちばんの関心になるからである。 彼らは,自分が生き残れる場に「○○学」がなることを望む。 そして「○○学」は,多数派の望みをかなえる場へと収束する。 ひとは「学者」をプロだと思っている。 ひとが「学者」に対してとる構えは,<教えてもらう>である。 しかし「学者」は,成長途上のふらふらした者たちである。 ひとに教える資格が彼らにあるとは,到底言えない。 しかし彼らは,<教える>が生業のなかに入ってくる。 こうして,学者の<教える>には,つぎの二つがある: もっとも,学の劣化の程度は,分野によって自ずと違ってくる。 「内容の劣化」でいうと,数学がこれをよく免れ得る。 文法と公理を定めるという方法によって,テキトーなことが言えないシステムを実現しているからである。 翻って,「文法&公理」の方法とどれだけ離れているかで,「○○学」のテキトーさを測ることができる。 さて気象学だが,これは「ひどくテキトー」の部類である。 熱力学を基礎に措いているふうを装っているが,熱力学と気象の間には途轍もない<存在の階層差>が存在する。 熱力学から気象を説き起こそうとすることは,化学から動物行動を説き起こそうとするようなものである。 そして気象学には,これの劣化を導くことになる社会的要因がある。 気象予報士試験である。 気象学は,気象予報士試験の「傾向と対策」で勉強されるものになる。 そして気象学も,これに迎合する。 これは,教員資格制度が教科教育学を生み,その教科教育学がもとの学を駆逐する──のダイナミクスと同型である。 例えば数学だと,数学教育学の教える数学が,ひとが「数学」と定めるものになるのである。 巷の「よくわかる」系の「気象学」書籍は,気象予報士試験の「傾向と対策」に気象学が迎合する形である。 そしてこの結果は,ひとがこれらの書籍に書かれていることを「気象学」と定めるようになる,である。 |