「アイヌ」について「身体的特徴」を主題化することは,だいたいミスリーディングになる。
ひとは既に「人種」ということばにミスリードされているからである。
人間は,一つの種──「ホモ・サピエンス」──である。
「北方系,南方系,蒙古系,‥‥」のことばによって差異化しようとしているものは,「品種」に相当する。
生物は,絶えず変化する──同じではいられない。
そして,先祖が同じでも,隔絶して別々に子孫をつくっていくと,これら系統は互いに異なる体格好を現すようになる。
進化科学だと,カタツムリがわかりやすい例として挙げられる (千葉聡, 2017)。
体格好の可変性は,「品種改良」がこれをよく表している。
「掛け合わせ」によって,体格好を短期間に著しく変化させることができる。
イヌは,人の手によって多くの品種がつくられている。
人間も,「掛け合わせ」を用いれば,チワワとセントバーナードくらいの違いをつくれるということである。
実際,人の体格好が短期間でも急速に変化することは,明治から平成までの日本人の体形の変化がよく示している。
バードのつぎの記述は,誇張でもなんでもなくそのまんまと読むべきである:
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Bird, Isabella (1880), LETTER I
The first thing that impressed me on landing was that there were no loafers, and that all the small, ugly, kindly-looking, shrivelled, bandy-legged, round-shouldered, concave-chested, poor-looking beings in the streets had some affairs of their own to mind.
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同上, LETTER III
The Japanese look most diminutive in European dress. Each garment is a misfit, and exaggerates the miserable physique and the national defects of concave chests and bow legs.
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"concave chests and bow legs" は,主に労働形態ならびに生活慣習のためである。
ライフスタイルの変化で体形も変化する。
昔は年寄りは腰が曲がっているものであったが,これなども過去の絵である。
さて,以上を準備として,アイヌの「身体的特徴」に入る。
本州人と交わらずに北海道に棲んできたヒト種は,自ずから本州人と違う形格好である。
際立った点は,つぎのように述べられる:
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最上徳内 (1808), p.523
其人のかたち、色黒く、髭髯うるはしく、男女枝體毛多く生じ、甚きは男子胸背膚を見ず。
一眉といふといへども、實は眉間更に一眉有がごとくにして、しかして相連るもの也。
日深くくぼみて、極(め)て白多し。
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「甚きは男子胸背膚を見ず」は,Landor(1893) に描かれている:
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菅江真澄 (1791), pp.556-559
舟漕ぐ二人の蝦洟人暑さにたえず、シャモの辞に醼□(衤+兌)衣とて、もろこし織の木緜布をいろいろ衣の如く染さして、又繍したる衣もアツシの衣着たるもみなぬぎやりて、舳□にしりうたげして、けぶり吹やるアヰノの身は、墨ぬり、うるしさしたるばかり黒きむくろに、雪の降たるやうに、おどろのしら髪ふりみだしたり。
舳なるアヰノとしは三十斗ならんか、いとくろく、身にむくむくと毛の生ひかゝり、草のごとく茂れり。
アヰノのメノコども、よき男となべて懸想(し)恋渡るは、みな鬚のいと長やかなるをいふと聞ば、このアヰノを、メノコのしたひつらんと戯ていへば、老長、さなりと。
シャモのイタクの通ふアヰノどもにて、なにくれとかたらふもおかし。
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また,バードはつぎのように記述している:
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Bird (1880), LETTER XXXVII
After the yellow skins, the stiff horse hair, the feeble eyelids, the elongated eyes, the sloping eyebrows, the flat noses, the sunken chests, the Mongolian features, the puny physique, the shaky walk of the men, the restricted totter of the women, and the general impression of degeneracy conveyed by the appearance of the Japanese, the Ainos make a very singular impression.
All but two or three that I have seen are the most ferocious-looking of savages, with a physique vigorous enough for carrying out the most ferocious intentions, but as soon as they speak the countenance brightens into a smile as gentle as that of a woman, something which can never be forgotten.
The men are about the middle height, broad-chested, broad-shouldered, "thick set," very strongly built, the arms and legs short, thick, and muscular, the hands and feet large.
The bodies, and specially the limbs, of many are covered with short bristly hair.
I have seen two boys whose backs are covered with fur as fine and soft as that of a cat.
The heads and faces are very striking.
The foreheads are very high, broad, and prominent, and at first sight give one the impression of an unusual capacity for intellectual development;
the ears are small and set low;
the noses are straight but short, and broad at the nostrils;
the mouths are wide but well formed; and the lips rarely show a tendency to fulness.
The neck is short, the cranium rounded, the cheek-bones low, and the lower part of the face is small as compared with the upper, the peculiarity called a "jowl" being unknown.
The eyebrows are full, and form a straight line nearly across the face.
The eyes are large, tolerably deeply set, and very beautiful, the colour a rich liquid brown, the expression singularly soft, and the eyelashes long, silky, and abundant.
The skin has the Italian olive tint, but in most cases is thin, and light enough to show the changes of colour in the cheek.
The teeth are small, regular, and very white; the incisors and "eye teeth" are not disproportionately large, as is usually the case among the Japanese; there is no tendency towards prognathism; and the fold of integument which conceals the upper eyelids of the Japanese is never to be met with.
The features, expression, and aspect, are European rather than Asiatic.
[金坂清則訳, pp.102,103]
黄色の肌、馬の毛のような硬い毛髪、くっきりしない瞼、細長い目、垂れた眉毛、平べったい鼻、[猫背のために] へこんで見える胸、モンゴル系の容貌、発育のよくない体格、上半身が揺れる男の歩き方、ちょこちょことした女の歩き方など、総じて退歩を感じさせる日本人の外見に慣れた者の自には、アイヌは実にすばらしく映る。
ほんの二、三人を別とすると、未開人の中でもアイヌほど狂暴な感じを与えるものはいない。
ところが、一見した身体的特徴はどんなに狂暴なことでもできそうな力強さにあふれているのに、話し出したとたんその顔は女性のような優しい微笑みに輝く。
とても忘れられない表情である。
男性の背丈は中ぐらいで、胸は分厚く、肩幅も広く、「がっしり」としている。
強靭な身体つきである。
また腕と脚は短くて太く、筋肉質であり、手も足も大きい。
多くの場合、身体とくに手足は短い剛毛でおおわれている。
これまでに見た二人の少年の背中は猫のように細く柔らかな毛でおおわれていた。
頭も顔も実に印象的である。
額はとても高くて広くひいでているので、知的な発達能力が並はずれて高い印象を一見与える。
耳は小さく、その位置は低い。
鼻は鼻筋が通っているが短く、小鼻が広い。
口は大きいが形はよく、唇はほとんどの場合薄い。
頸は短く、頭は丸みを帯び、頬骨が張らず、顔は上半分に比べ下半分が小さく、いわゆる「三重顎」の特徴はない。
額の下には太くて濃い眉毛がほぼ真っすぐに走っている。
眼はかなり窪み大きくて美しく、澄んで濃い茶色の障の表情は柔らかい。
睫毛は長くつややかで、密に生えている。
皮膚は色こそイタリア人のオリーブ色を思わせるが、たいていはそんなに濃くなく明るいので、頬の色の変化がわかるほどである。
歯並びのよい歯は小さく真っ白で、普通の日本人とは違い、門歯や「犬歯」が不釣り合いに大きいということがない。
また顎の突出も皆無で、日本人の上瞼を隠している外皮の襞 [蒙古襞] はまったくない。
その [身体的] 特徴や表情・容貌は、アジア的というよりはヨーロッパ的である。
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ここでくれぐれも勘違いせぬように。
「アイヌ」とはこれら「身体的特徴」のことではない。
「アイヌ」は,あくまでも「アイヌ文化を生きた者」がこれの意味である。
アイヌには,先祖の北海道入りの経緯の違いにより,「品種」レベルの違いがもともと存在している。
( 日本列島人の経緯)
そして,「身体的特徴」は混血によって薄れる。
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山本多助 (1948), p.32
わが一族の古老たちによると、われらの先祖は青森から船出して網走に上陸、その後クシリ (釧路) に定住したのだという。
私としては、はなはだ気にくわぬことではあるが、いたしかたのない事実である。
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砂沢クラ (1983), p.42
北海道には看守もたくさん来ていたので、その中にはアイヌと仲よくなる人もいました。
私の祖母のテルシフチ [川村モノクテの妻] は看守の子供だったそうです。
父親は、ただの看守ではなく、位の高い立派な人だったとかで、アイヌの家に来て、エカシたちと一緒にアイヌ語でカムイノミ (神への祈り) もしたそうです。
フチが和人の子供だったからでしょう。
フチの子供は、みな、あまり毛も濃くなく、ピリカオッカヨ (美男)、ピリカメノコ (美女) ばかりでした。
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同上, p.49
私の母ムイサシマットの父親荒井テンラエカシ母が、まだ子供のうちに死んだので、私は,この目で見たことはありません。
でも、母は何かにつけエカシの思い出話をしてくれましたし、エカシの弟のランケトツクエカシも折にふれ、テンラエカシがどんなに度胸のある狩人だったかを教えてくれたので、私には,とても親しい、なつかしい人です。
テンラエカシの祖父はロシア人だったので、エカシはロシア人そっくりでした。
目は黒かったのですが,肌は透き通ったピンク色でヒゲは赤く、背も六尺 (約一八〇センチ) 以上ある大男でした。
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同上, p.52
私の母ムイサシマットは、テンラエカシの血をひいて色が透きとおるように白く、とてもきれいな人でした。
でも、小さい時は、他の人と顔の色が違うというので、口には言えないつらい思いを味わったそうです。
昔は、結核はサッテシエエ (やせる病) と言われ、ほうそうと同じぐらい恐れられていました。
結核にかかるとやせて青白い顔になるので、母は、結核だと思われたのです。
母は「どこの家へ行ってもいやがられ、ごはんもろくに食べさせてもらえなかった」と言っていました。
結核は、ごはんを一緒に食べるとうつる、と言われていたのです。
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引用・参考文献
- 菅江真澄 (1791) :『蝦夷迺天布利』
- 『菅江真澄集 第4』(秋田叢書), 秋田叢書刊行会, 1932, pp.493-586.
- 最上徳内 (1808) :『渡島筆記』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.521-543
- Bird, Isabella (1880) : Unbeaten Tracks in Japan; An Account of Travels in the Interia, Including Visits in the Aborigines of Yezo and the Shrines of Nikko and Ise.
- Project Gutenberg : http://www.gutenberg.org/ebooks/2184
- 『完訳 日本奥地紀行 3(北海道・アイヌの世界)』 金坂清則 訳注、平凡社〈東洋文庫 828〉、2012
- Landor, A. H. Savage (1893) : Alone with the hairy Ainu : or, 3800 miles on a pack saddle in Yezo and a cruise to the Kurile islands
- London : John Murray. 1893.
- Project Gutenberg : http://www.gutenberg.org/ebooks/37873
- 北構保男訳『明治23年 A・H・サベージ・ランドーアひとり蝦夷地をゆく 釧路・根室・千島・北見の部』, 1978.
- 砂沢クラ (1983) :,『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社
- 山本多助 (1948) :「釧路アイヌの系図と伝説」
- チカップ美恵子編著『森と大地の言い伝え』収載 : pp.21-84
- 千葉聡 (2017) :『歌うカタツムリ――進化とらせんの物語』, 岩波書店 (岩波科学ライブラリー), 2017
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