Up | 2018 年度「アイヌ予算」 | 作成: 2017-12-24 更新: 2017-12-25 |
「アイヌ利権」のことばは,「アイヌが利権に群がっている」のイメージをひとにもたせてしまう。 このイメージは間違いである。 「アイヌ利権」の本質は,商品経済である。 商品経済は, 北海道は,「観光」を産業として膨らませることで,やっていこうとする。 そこで,「アイヌ予算」の拡大を図る。 そしてこの予算の執行がそのまま「アイヌ利権」になるというわけである。 「アイヌ予算」も,本旨は経済効果である。 この類のものは,箱物事業が中心になる。 事業者は,"アイヌ" であるわけではない。 一般の業者である。
( 1965年 : アイヌコタンのポロト沼移転 ) ただし,「アイヌ」が実在しているというフィクションを保たねばならないから,"アイヌ"自称者の一定数の確保が必要になる。 彼らには,事業につないでおくために,雇用,特権的手当,謝金,海外旅行費等々いろいろな形で,手当を配していく。 「アイヌ利権」を批判する者はこの面を専ら捉えて批判しているわけであるが,これは「北海道観光」の中に位置づけられた「アイヌ観光」の必要経費なのである。 「アイヌ利権」の研究は,この「必要経費」の内容の押さえが重要である。 "アイヌ" の生態がこの中に映し出されているからである。 そしてこの中に,「利権 "アイヌ"」格の "アイヌ" の存在も見えてきて,「"アイヌ"批判」という形の「アイヌ利権」批判にもなってくるわけである。 「アイヌ利権」を批判する者は,つぎの二つを渾然にしないことが肝要である: 北海道は,「アイヌ予算」を既得権として保持・維持していくことが大事になる。 「予算を高額で維持」では,「箱物事業を上手につないでいく」がこれの内容になる。 箱物事業もひとが批判するところとなるが,これもまた商品経済の何たるかを知らないわけである。 商品経済は,無駄遣いの経済である。 無駄遣いが多いほど,商品経済は成功である。 商品経済に棲むとは,無駄遣いを重ねることを生き方にするということである。
種の自滅は生物進化史ではありふれたことであり,人間中心に物事を考えるから,自滅がたいそうなことに見えるのである。 箱物は,建てたところで終わりである。 運営など考えるものではない。 実際,箱物の運営はすぐに成り立たなくなり,維持費の負担だけが残る。 しかし,これが商品経済というものである。 商品経済は,これでよいのである。 商品経済の作法は,手を替え品を替えして,箱物をつくり続けることである。 白老には,旭川,阿寒,静内等々が続かねばならない。 実際,この施策ができなければ,北海道の行政者は失格である。 利権誘導型政治家の役回りも,ここにある。 "アイヌ"史──アイヌ史ではなく,"アイヌ"史──を振り返るとき,いまの状況は感慨深い。 「アイヌ観光」は,インテリ "アイヌ" の軽蔑と嫌悪の対象であった。 いまの "アイヌ" は,「アイヌ観光」に同化した者たちである。 実際,「アイヌ観光」に同化しないという形の "アイヌ" の有り様は,存在しないわけである。 「アイヌ観光」行政の真に困難な課題は,この役回りをつとめる "アイヌ" を一定数保つことである。 この場合も,問題の中心は「世代交替」である。 一般者を動員してアイヌ調コスプレをさせるなどは容易い手であるが,これには《 "アイヌ" という存在がますます怪しいものになる》が報いとして返ってくることになる。 |