Up "アイヌ"運動の変遷 : 要旨 作成: 2019-10-11
更新: 2019-10-11


    いまの "アイヌ" は,アイヌ終焉直後の "アイヌ" とは違う。
    "アイヌ" は,進化してきた。
    そして,<「アイヌ利権」の「アイヌ」を務める者>が,"アイヌ" のいまである。

    「進化」は,<分化と絶滅>である。
    なぜ「アイヌ利権」なのかは,「"アイヌ" の進化」で考えねばわからない。


    "アイヌ" は,「"アイヌ" 運動」の「"アイヌ"」である。
    "アイヌ" は,"アイヌ" 運動がこれの存り方である。
    実際,「アイヌの末裔」ということになる者はかなりの数になるが,「アイヌの末裔」イコール "アイヌ" ではない。

      "アイヌ" と "シャモ" の「混血」の子──これの末裔も「アイヌの末裔」である。 「末裔」の系統図は末広がりになる。
        「アイヌ系統者の人口

    こうして "アイヌ" 進化史は,"アイヌ" 運動変遷史である。
    その変遷は,つぎのようになる:
    1. <時代に適応>運動
    2. <反差別>運動
    3. <民族の権利獲得>運動


    <時代に適応>の内容は,《「アイヌ」として生きるのではなく「日本国民」として生きる》である。
    明治から昭和の戦前まで,"アイヌ" 運動はこれであった。
    この運動の中の "アイヌ" を,同化"アイヌ" と呼んでおく。

    しかしこの運動は,反作用として,"アイヌ" を自己アイデンティティで悩ませることになる。
    「アイヌ」と「日本国民」の間に立たされて葛藤するタイプの "アイヌ" の中から,文学 "アイヌ" が現れる。

    また,自分を「アイヌ」として見せることを生業にする "アイヌ" が,いた。
    彼らは,同化"アイヌ" と文学 "アイヌ" とって,同族を貶める面汚し的存在という格好になる。
    同化"アイヌ" と文学 "アイヌ" は彼らを批判する。
    「観光アイヌ」ということばは,"アイヌ" の中から出て来たものである。

    しかし,"アイヌ" の進化で残っていくのは,この観光"アイヌ" ──自分を「アイヌ」として見せることを生業にする "アイヌ" ──である。
    同化"アイヌ" と文学 "アイヌ" の方は,「アイヌ系統者」が急速に社会に拡散し見えなくなっていく中で,存在理由を無くし,消えていくことになる。


    戦後は,デモクラシーが思潮になった。
    そして,"アイヌ" 運動は<反差別>運動になる。

    <反差別>運動は,「みな同じ」イデオロギーの運動である。
    (「みな同じ」の典型が,中国文化革命期の<人民服一色>である。)
    違いを立てることは,<差別>になる。
    したがって,「アイヌ」は差別語ということになる。
    こうして,<反差別>運動の "アイヌ" は,「アイヌ」に換えて「ウタリ」を使うことになる。
    1961年,「アイヌ協会」は「ウタリ協会」に改称する。

    しかし,<反差別>運動は,消極的な運動である。
    この運動は,実利がない。
    この状況は,1970年前後期の新左翼運動によって変わる。
    この運動が持ち込んだイデオロギーのうちに,「民族解放」があった。
    <反差別>運動の "アイヌ" は,これに乗る。
    「アイヌ民族解放」運動は,"アイヌ" 権益の獲得という実利がつくからである。
    この運動をする "アイヌ" を,政治"アイヌ" と呼んでおく。

    政治"アイヌ" は,自分を「アイヌ民族」と差別化しつつ「アイヌ差別反対」を唱える者になる。
    マッチポンプをやるわけである。
    マッチポンプは<支離滅裂>であるから,周囲がこれに対応する仕方は一つしかない。
    <触らない>である。
    それでも「差別」の言いがかりをつけられる羽目になったら,<土下座して誤る>。
    こうして,「アイヌ」のことばを口に出したり文字にするのをタブーにする風潮が,できあがった。


    "アイヌ" 権益獲得の運動は,"アイヌ" 権益を与えられたら鎮まることになる。
    政治は,"アイヌ" に権益を与える方向に進んだ。
    政府にしても,"アイヌ" をおとなしくさせねばならない理由があった。
    北方領土問題である。
    そして,"アイヌ" 権益は,「北海道観光産業振興」に回収できるものであった。

    実際,"アイヌ" 権益は,「北海道観光産業振興」に回収されるしかない。
    「生活手当」という名分は,いまの時代には立つものではないからである。 ──「アイヌであることが理由で,困窮生活を強いられている」の "アイヌ"像は,"アイヌ" 自身受け入れないものである。

    こうして,政治"アイヌ" は降板する。
    残ったのは,「アイヌ観光」の「アイヌ」の役に就こうという "アイヌ" である。
    これを,利権"アイヌ" と呼んでおく。

      「ウタリ協会」は,2009年に「アイヌ協会」に名を戻す。
      これは,利権"アイヌ" が "アイヌ" の主役になったことを象徴している。


    "アイヌ"進化は,利権"アイヌ" を現生種にしていまに至る。
    同化"アイヌ" や文学 "アイヌ" から「観光アイヌ」と呼ばれ批判された "アイヌ" が,最後に勝ったわけである。

    しかし「勝った」といっても,それは「自然選択に残った」ということであって,「めでたし」とは違う。
    「アイヌ観光」の「アイヌ」の役に就くことは,<務め>である。
    これは,「アイヌ使役」の現代版である。

    そして「観光」は,ひとの気紛れや景気に左右される<バブル>である。
    さらに「アイヌ観光」は,"アイヌ" を必要分確保するための "アイヌ" 後継者養成が課題になる。
    "アイヌ"運動変遷史の<現在>は,"アイヌ" の品質向上と "アイヌ" 後継者養成である。
    "アイヌ" 進化は,まだまだ先があるというわけである。