Up アイヌリテラシー研究方法論 : 要旨 作成: 2019-01-21
更新: 2019-01-21


    アイヌとは,アイヌ文化を生きた者のことである。
    アイヌ文化の終焉は,アイヌの終焉である。

    アイヌが終焉したのは,19世紀終わりの四半世紀のときである。
    具体的には,1872年開拓使発布の「地所規則」を以て,である。
    実際,これにより,アイヌの漁猟採集生活は成り立たないものとなった。

    よって,「アイヌリテラシー研究」は,「古生物学」のようなものである。
    それは,化石を手掛かりに往事を詮索するというものである。


    しかし,この詮索は,想像以上のものにはならない。
    化石からの往事の詮索は,学者の研究にはならない。
    そこで学者は,化石発掘のフィールドワークや化石の記述で研究論文をつくることになる。

    即ち,アイヌリテラシーを遺していたアイヌ終焉後世代がいたころは,説話収集とそれの和訳を研究業績とした。
    そしてアイヌリテラシー研究として今日できることは,資料目録を更新するとか,構文解析くらいのものである。


    アイヌリテラシー研究の「化石」が古生物学の化石と違うところは,化石発掘は尽くされているということである。
    アイヌは文字をもたなかったので,「アイヌリテラシーを遺している者がいるうちに」と急ぎ収集された説話が,化石のすべてなのである。

    化石は,高々化石である。
    アイヌのリテラシーを再現するというものではない。

    一方,成果主義,商業主義は,再現を謳いたがる。
    少しの化石から,「アイヌの‥‥‥」のようなカテゴリーを立てたがる。
    誇大な形容をしてしまうのである。
    そこで,アイヌリテラシー研究の方法論というものを,改めて考える必要がある。


    この方法論の中心は,「化石を等身大に扱う」である。
    「アイヌの‥‥‥」の誇大形容は,「アイヌ」が人の系統としてどのようなものかをきちんと考えてないことが元である。
    「系統」を漠然と想っているのである。
    だから,「アイヌ民族」を言い出す者が,学者の中からも出てくるわけである。

     註: 「アイヌ観光」を生業とする者が「アイヌ民族」を唱えることは,構わない。 ──詐欺まがいの広告は,商品経済の含蓄である。
    このことばの問題は,イデオロギーになっていることである。 ──「アイヌ民族」キャンペーンとして,言葉狩り・言論狩りが行われてきたことである。
    「アイヌ民族」のことばを使う学者にも,二タイプがある。
    イデオロギーの者 (「アイヌ民族」を立てようとする者) と,幼稚な者 (「アイヌ民族」を鵜呑みにする者) である。

    思考停止する者は,自分が思考停止になっていることの自覚の無い者である。
    自覚が無いのは,自覚の方法を持たないからである。
    「系統」の意味を思考停止しないためには,「系統」を考える術を持っている必要がある。
    その術は,<系統・進化>学である。