Up 組織への影響は? 作成: 2007-12-21
更新: 2007-12-21


    国立大学の「法人化」では,「改革」のスタンスで課程再編が行われる。
    「改革」の流れで課程再編をやると,それは既存の否定になる。 既存の否定は,これまでの国立大学の歴史の否定に通じる。
    実際,「改革」の課程再編は,国立大学の精神文化を変える。

    例えば,「法人化」の課程再編の項目に,「コア・カリキュラム」がある。 コア・カリキュラムの科目づくりでは,「生活単元」の思想がこれをリードしていることもあって,「これまでの旧態依然の科目名はよくない──科目名は平易なのがよい」という風潮が一挙に広まった。
    数学でいうと,従来の教養数学の代数,幾何,解析にあたる科目は,「数の理解」「図形の理解」「数量の理解」の名前に変えられる。こうすることが進歩的であると信じられるようになる。

    ひとは,進歩主義に直ぐに慣れる。 そして「大学」がかつてどうであったかを忘れてしまう。
    こうして,国立大学の精神文化が変わる。
    どんなふうに?
    簡単に言うと,「重厚指向/本質指向」から「軽佻浮薄指向/見掛け指向」に変わる。
    学究的文化は,築くのは時間がかかるが,落ちるのは瞬く間である。

    大学の精神文化を一挙にダメにしようと思ったら,軽率に課程をいじるのが一番の方法である。
    ひとは軽率に課程をいじる。 課程いじりは,組織の根本に影響する。しかし,直接的でないのでわかりにくい。

    以下,この問題を,つぎの「生涯学習教育」の各カテゴリーについて考える:

      教職大学院   一般  
      正規  
      非正規 教員研修  
      一般公開講座  
      ( 人材育成型, 自己充足支援型)


    ○「教職大学院」

    教職大学院は,スタートしたときから定員充足や採算といった経営的問題を抱えることになるようなものであるが,閉じた系であるので,その中の問題が組織の根本 (精神文化のような) に影響することはあまり考えられない。

    一方,「教職大学院と修士課程 (教員養成) との棲み分け」が自ずと課題になり,これは修士課程 (教員養成) を改めて見直す契機になる──特に,兼担の専任教員の場合。この意味では,既存の修士課程 (教員養成) に好い影響を及ぼすことも考えられる。


    ○「教員研修」(「免許状更新講習」)

    免許状更新講習は,「何でもあり」講習になる。( どのような教員組織になる?) 実際,大学は,「何でもあり」ということで,はじめてこれを引き受けることができる。 (講習内容に責任をもたされるのであれば,引き受けられるものではない。)
    このとき免許状更新講習は,大学にとっては,「めんどうだが,責任のない外的業務 (アルバイト)」というものになる。

    このような位相の免許状更新講習は,大学の組織の根本に影響するものにはならない。
    これの導入で影響されるのは,大学ではなく,国の方である。
    すなわち,形だけのものであることをみなが承知の免許状更新講習は,各員は<偽>を知っており組織としてはこれを<真>とする「裸の王様」である。「裸の王様」は,組織のモラル・精神文化の低下をもたらす。特に,免許状更新講習の場合は,国の教育のモラル・精神文化の低下をもたらす。


    ○「一般公開講座」

    先ず,公開講座は,規模としては小さいものであるが,組織の精神文化への影響は小さくない (大きい)。 すなわち,公開講座の内容は,大学の教育内容に対する雰囲気をつくる。

    教員個人が自分の裁量・責任で行う公開講座は,大学が命としている「個の多様性」の一つの要素である。 (大学は「個の多様性」の現れであり,「個の多様性」が大学の命。)

    教員個人が自分の裁量・責任で行う公開講座に対して,大学執行部が組織する公開講座がある。 これは<政治>である。
    すなわち,「大学の教育内容に対する雰囲気・指向性づくりのために公開講座を用いる」という「改革」の戦略が立つ。 ──大学の精神文化を「改革」する事業の構想において,公開講座は費用対効果比の優れたものに見えるわけだ。 それは,公開講座を「コマーシャル/プロパガンダ」として用いるということ。

    実際,「法人化」の国立大学は,公開講座の運営を「改革」の要目の一つに数えている。 公開講座が「大学評価」のポイントになると考えているためであるが,このこととあわせて,大学の精神文化の「改革」に公開講座が「コマーシャル/プロパガンダ」として使えるという意識・無意識がある。

    大学執行部が公開講座を主導するとき,これの組織への影響の形は,<政治>の独走である。 ── 一般に,組織執行部は自分を<無謬の者>にして政治する。 そして組織は,雰囲気に弱く,雰囲気で動く。 一旦動くと,惰性になる (惰性にストップがかからない)。 惰性は,「身動きができなくなる程に被害・損害が大きさになる」に至って,はじめてストップがかかる。