Up 「自由」のデザイン問題の今日的位相 作成: 2007-09-11
更新: 2007-09-11


    コンピュータの「自由」問題は,「パーソナル」から始まった。
    それまでは「メインフレーム」がコンピュータのパラダイムであったが,このパラダイムからの自由が,「パーソナル」に意味される「自由」である。 ( P C の「パーソナル」の意味)

    つぎに現れた「自由」問題は,コンピュータソフトウェアの企業支配からの自由である。 ( 多様な個の参加が「自由」を開発)

    そして今日,この二つの「自由」問題につぎの問題が加わった:
      組織における「コンピュータの人支配」からの自由

    SFにあった「コンピュータの人支配」が,現実になってきたのである。


    「コンピュータの人支配」は,コンピュータ物神論であって,多様制限論 ( P C の「パーソナル」の意味) とは区別される。

    多様制限論では,「多様を制限するシステムの設計」が主題になる。 ここでは,個は<多様なるもの>として認知されている。
    一方,物神論では,「個はシステムに自ずと従う (従わない個というものはあり得ない)」になる。 個は<多様なるもの>としては認知されない。


    例えば,セキュリティ対策として「thin クライアント」を導入しようとするのは,多様制限論の立場である。
    一方,教務システムに大学の教務を従わせようとするのは,物神論の立場である。

      教務システムに大学の教務を従わせるのは,多様制限論ではない。 なぜなら,これを多様制限論とすれば,やっていることの本末転倒を認めることになる。