Up 「現成」の哲学 作成: 2012-09-03
更新: 2014-03-07


    本論考は,つぎの2つを合わせて,授業/学校数学の<生きる>を立てた:
      1. 「何でもありを以て均衡」(<蠢動と定常均衡>)
      2. 「同一反復」(<攪乱と均衡回帰>, <振り子運動>)

    この<生きる>は,一面「変わらない」を表している。
    「変わらない」をどう見るか。
    「変わらない」は,学校教育の文化では,ネガティブな意味になる。
    学校教育の文化では,「前向き」「向上」「進歩」のことばに調子を合わせないことは,けしからんこと,人として劣っていることになってしまう。

    しかし,「変わらない」は,この系の自然/本性がこうだということである。
    実際,「変える」の行動は,系の<最適相保守メカニズム>によって,無駄・無用なものにされ,結果として何もなかったことになる。 その行動は,自惚れだったということになる。

    本論考は,授業/学校数学の<生きる>の立論をベースにする。
    <生きる>の立論は,<生きる>をポジティブな色合いにすることを企図する。
    この<生きる>は,「変わらない」を含蓄している。 よって,<生きる>のポジティブな立論は,ポジティブな「変わらない」論を含蓄する。

    <生きる>をポジティブな色合いにすることを企図するのは,これを哲学とするからである。
    実際,つぎが本論考の「授業/学校数学」論の立場である:
      《「授業/学校数学」は,現前がこれの成就している形である。》
    これは,「現(うつつ)に成っている」の論,即ち「現成」論である。

     註 : 「現成」のことばは,道元の「現成公案」からとるものである。
    西洋哲学からこのタイプの哲学を引くとすれば,Wittgenstein/プラグマティズムである。