Up 「学会論文」規格の遵守 : 要旨 作成: 2015-10-15
更新: 2015-10-15


    規格の導入は,世界を<規格内と規格外の二つで成る世界>と定めることである。
    規格内は是になり,規格外は非になる。
    是非は,優劣・良否・善悪に通ずる。
    規格の導入は,価値・倫理の導入になるのである。
    世界の要素は,よいかわるいかのどちらかになる。
    「学会論文」になる論文はよい論文であり,ならない論文はわるい論文である。

    論文のよしあしは,規格依存である。
    学会員は,「規格依存」を踏まえた上で,「学会論文」の規格がどういうものかを捉え,論文を「学会論文」としてつくる者である。


    「学会論文」の規格は,世界標準の「数学教育学」のパラダイムを表している。
    歴史的経緯から,パラダイムは欧米パラダイムである。
    欧米パラダイムの根底は,表象主義 (言語写像論) の意味の合理主義である。
    <「学会論文」の規格がわかる>は,<合理主義/表象主義/言語写像論がわかる>を含意する。

    「学会論文」は,「リサーチ」が規格になる。
    なぜリサーチか。
    合理主義/表象主義/言語写像論の探求方法論は,論理実証主義である。
    論理実証主義の探求は,リサーチである。


    数学教育生態学である数学教育学は,「リサーチ」の規格に合わせることができない。
    根底になる存在論が違うからである。
    「リサーチ」の存在論は,言語写像論である。
    生態学の存在論は,系階層論である。 ( 『「系─個」存在論』)

    数学教育学は,<学会論文の本数を稼ぐ>と別立てにするものである。
    これは,探求と生業を別立てにするということである。
    そもそも,探求と生業が一致する者は,余程の幸運者であり,ふつうは存在しない。
    数学教育学と<学会論文の本数を稼ぐ>の別立てはアタリマエのことであり,問題を感じることではない。

    規格は,世界を<規格内と規格外の二つで成る世界>と定める。
    このことを,「規格外をやる者は学会員に馴染まない」と読むのは間違いである。
    「規格外は<学会論文の本数を稼ぐ>の別立てでやる」が,これの読み方である。