Up 「構造主義」とは 作成: 2010-06-15
更新: 2020-03-11


    哲学で謂う「構造主義」は,世界認識の方法論として提起されるものであり,特に段階論 (進化決定論) に反対するものである。

    この「構造主義」は,決定論に反対するものとして,「偶然」を強調することになる。
    「偶然」を記述する方法 (ディスコース) は,通時的には「ダイナミクス」,共時的には「構造」である。
    「構造主義」は,専ら「構造」の方に向いている(てい)である。
    故に,「構造主義」である。

     註 : 「偶然 : ダイナミクス - 構造」の論は,<自己組織化する系>の論として,科学であるのみ。
       <自己組織化する系>とは?


    「構造主義」のことばは,ポストモダンを特徴づけることばであるかのように使われた。
    ところで,「構造主義」の「構造」は,数学の謂う「構造」である。
    これは,レヴィストロースが,「未開の思考」の記述に数学の「群」の類の代数的構造を用いようとしたことに拠っている。
    しかしポストモダンは,「構造主義」のことばから想われるようなもの──数学の構造概念の応用を方法論にしたもの──では,まったくない。
    フーコーは「自分は構造主義ではない」と言ったが,ポストモダン全体を通じて「構造主義」など無かった。
    哲学が使う「構造主義」のことばは,ミスリーディングでしかない。


    念のため,数学の謂う「構造」を押さえておく。

    数学の「構造」は,「同型」を言うためのものである。
    即ち,「同型」を,「構造の同型」として立てる。

    数学は,形式の見方で物事を捉えることを課題にする──形式主義。
    そのために,形式の探求を主題にする。
    数学の形式主義は,数学では「構造」は「形式」と同義になるから,構造主義とも言い換えられる。この意味では,数学は構造主義である。
    しかし数学を特徴づけることばとしては,「構()主義」を使うべきである:

    ちなみに,「構造」の概念の力は,これまで別物と思っていた物事が同じになり,また逆に,これまで同じと思っていた物事が別物になることである。
    「温故知新」がなぜ成立するかというと,故と新の間に<同型>が存在するからである。
    「他山の石」がなぜ成立するかというと,他山の石と己の間に<同型>が存在するからである。
    教養がなぜ自分の身を保たせるかというと,教養としてもっているものと自分のいまの問題の間に<同型>が存在するからである。