Up 要 旨 作成: 2006-09-13
更新: 2006-09-13


    国立大学の法人化が「大学破壊」の相で進行していることを『大学が壊れる形のケーススタディ』で論じた。そしてそこで結論としたものは,これである:

      大学破壊のもとは,結局のところ,大学論がそもそも持たれていないことにある。


    大学とは何であるかをそもそもとらえていないから,大学破壊を「大学破壊」と認識できない。
    逆に,大学とは何かがある程度わかっていれば,「大学破壊」においそれと乗ることはない。

      「大学を職場にしていて大学を知らないなどということがあるか?」と訝しがるむきには,この問いを自分自身に向けてみるとよい。 (これと同型な例はいくらでもある。単純に,「国とは何か?」の問い。この問いは,われわれを困らせる。「国民でいて国を知らないなどということが‥‥」──あるのだ。)
      実際,意味の問いを閑却して生きる方が,ひとにとって普通である。──通常の「何?」は,カテゴリー名を答えることで満足してもらえる問いである。意味を問う「何?」という問いは,たいていわれわれをひどく面食らわす。


    そこで,本論考において,改めて大学とは何かを考察する。
    ゴールは,「大学道」を示すことである。