Up | 「ヤナギ学」の考え方 | 作成: 2019-09-25 更新: 2019-09-25 |
世界は連続である。これに大まかな画定の線を入れ,離散の相で捉えようとする。 ひとはまた,世界の捉えを「しくみ」でする。 世界を構造体に見立て,これのメカニズムを捉えようとする。 ひとはまた,世界の捉えを「歴史」でする。 世界を因果の果として捉え,因果の巡りを捉えようとする。 「分類」は how の見方,「しくみ」は what の見方,そして「歴史」は why の見方ということになる。 ヤナギ学には,how, what, why の3つがあることになる。 一方,現前のヤナギ研究は,how が中心である。 what は,how の捉えのために求められてくる程度のものである。 そして why は,皆目無い。 why が無いのは,why が困難だからである。 しかし,why の無い how は,信用できない。 生物学が立てる「種」は,「進化系統樹の枝の末端」がこれの意味であり,「似たものの括り」ではないからである。 素人考えでは「DNA解析という方法があるのだから,ヤナギの進化系統分類をそれではっきりさせればよいのではないか」となるが,これはタダでやれることではない。 コストがかかる。 そこで実際問題として,それだけのコストをかけてヤナギの分類をやってくれる者がいるか,ということになる。 しかも,この方法で系統分類できるのは,はっきりと分かれた種である。 ヤナギ類のような近接した種/亜種に適用すれば,「人種の系統分類」に見るような怪しげな系統分類になるのが落ちである。 ヤナギ研究では「雑種」が主題になる。 しかし,雑種を立てることは,種の否定に他ならない。 実際,「雑種」とは「品種の雑種」のことであり,ここで「品種」とは「同種の中の毛色違い」のことである。 もし,シダレヤナギとシロヤナギが雑種をあたりまえにつくっているとしたら,この二つは別種ではなく,同種のなかの亜種くらいの位置づけになる。 さらにこのとき,「シダレヤナギとシロヤナギの両方の形質をもつ個体は,果たして雑種なのか?」という問題も立つ。 なぜなら,シダレヤナギとシロヤナギが亜種への分化であれば,両方の形質をもつ共通祖先も考えられるからである。 そもそも,種の形質は変わらないのが当たり前でなく,変わるのが当たり前である。 同じ種の個体群を,異なる環境の地に別々に置けば,互いに異なる形質のものに進化していく。 孤島に出向けば固有種を発見することになる,といったぐあいである。 形質の違いで種分類をやっていたら,きりがない。 きりがないばかりでなく,無意味である。 ヤナギに関心を抱きヤナギを調べ始める者──ヤナギ初心者──は,現前の「ヤナギの分類」をどうしても教条にしてしまう。 そして,一旦教条にしてしまうと,これからなかなか抜けられなくなる。 「ヤナギの分類」は,ヤナギ学の現状・限界を表すものである。 同定に神経質になることは無用である。 進化の経緯のわからないものが対象である場合,形質の僅かな違いに意味をつけることはできないのである。 実際,現前の「ヤナギの分類」には,これの解体が続かねばならない。 ヤナギ図鑑は,「ヤナギの典型集」くらいに見るべし。 ヤナギ類の科・属・種などは,例えばつぎのようなぐあいに,大らかに立てるのみである:
比較:現行の分類
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